TikTokでの“トークボックス講座”も話題 JUVENILEが語る「トークボックスの魅力」
音楽家の経歴やターニングポイントなどを使用機材や制作した楽曲とともに振り返る「音楽機材とテクノロジー」。これまでは横山克・後藤正文と音楽作家・バンドマン目線から見た音楽制作・録音・スタジオ面での話が続いたが、今回は“機材”にフォーカスを当ててみようと思う。
そこで登場してくれたのが、ボーカル・ダンサーのRYUICHIとともに「OOPARTZ」というユニットで活動しているJUVENILE。彼はオリエンタルラジオ(中田敦彦・藤森慎吾)を中心に結成されたユニット・RADIO FISHの「PERFECT HUMAN」を手がけた音楽家であり、シンセサイザーやトークボックスに一家言ある演奏者だ。今回の取材では「そもそもトークボックスとは何なのか?」といった基本的なところから、ヴォコーダー、オートチューンとの使い分けなどについてまで、広く話は展開した。(編集部)
「California Love」で気づいたトークボックスの魅力
ーーまず、どういうきっかけでトークボックスというものに興味を持ったのか教えてください。
JUVENILE:大きく分けて、ロックバンドか打ち込みかというと、後者が好きでしたし、小さい頃からゲーム音楽が好きということもあって。昔からロボットボイスとかヴォコーダー、オートチューンのように、デジタル的、サイバー的といっていいものに興味はあったんです。
ーーそれは小さい頃の音楽遍歴が影響していたんですか?
JUVENILE:もともと小さい頃からピアノを弾いていたんですけど、小学校4年生くらいのときに坂本龍一さんの「energy flow」を音楽室で弾いていたら、音楽の先生から「坂本龍一が好きならこれはどう?」ってYMOの「Technopolis」、「TONG POO」、「RYDEEN」とかが入ってるカセットテープを渡されて。それから一気に打ち込みの音楽に興味が湧きました。
ーーそこから音楽機材に興味を持ったんですか。
JUVENILE:この曲をやりたいという時に、バンドを組もうと思ったんですけど、小学生のコミュニティだとそんな仲間がいないんですよ。ピアノを弾ける女の子が多かったけれど、当時の僕は敵視していて(笑)。でも、男の子にもバンドを組んでくれる人がいなかったので、1人でやるしかないなと。当時はインターネットが普及し始めたころですが、自宅にはネットがなくて、YMOについて図書館で調べてたら、「シーケンサー」というものがあるらしく、なかでも「YAMAHA-QY100」が良いらしいと。とはいえ小学生には自分で買える値段のものではなかったので、ありとあらゆる手を尽くして買ってもらいました。
ーー親御さんもさぞビックリしたでしょうね。次の機材を買うまで、どれくらいの間「YAMAHA-QY100」を使ってたんですか?
JUVENILE:高校生の頃ですね。今でも動いてるんですけど、画面の内蔵バッテリーが切れて、映らなくなっちゃうくらい使い倒しました。
ーー5~6年間も使っていると、曲作りもかなり上達したんじゃないですか。
JUVENILE:そうですね。ただ最初は説明書を読んでもわからなかったですし、トライアンドエラーでしかなくて。画面は小さいし、ステップ入力もクオンタイズもわかりづらい。触って、こうなったから戻して……みたいに時間をかけて、今だったら絶対にできない時間の使い方をしていました。子供の頃ならではですね。
ーーそれを誰かに見せたいとは思わなかったんですか?
JUVENILE:思わなかったですね。中学生時代はほとんど家に籠って作っているばかりでした。
ーーそこからトークボックスに興味を持ったのは、いつごろなんでしょう。
JUVENILE:中学2~3年生くらいですね。このころにヒップホップを好きになったのが大きいです。トークボックスって、西海岸系のヒップホップでよく出てくるので。ヴォコーダーでもオートチューンでもなくて、これがトークボックスなんだと認識したのは、2Pac Ft. Dr. Dre & Roger Troutmanの「California Love」(1996年)でした。
ーーヒップホップを通ったことで、作る音楽にも変化はありましたか?
JUVENILE:かなり変わりましたね。自分で作るとなると、やっぱりコピーし続けるところから、1段2段どころじゃない、すごく難しいハードルの上がり方をするんですけど、ヒップホップのトラックって基本的にはループの音楽なので、4小節作れば完成なんですよ。そういう意味ではやりやすかったところもありますね。ただ、「HIPHOPは音がダサいとかっこいい曲にならない」と気づいたのもこの頃で、それまでアレンジとか展開、譜面を考えて作っていたMIDIやQY100とは違う音が必要だと思って。それで、ネットオークションで古いシンセサイザーやリズムマシンを集め始めました。トークボックスを自作し始めたのもこの時期です。
ーー自作は上手くいったんですか?
JUVENILE:原理的には簡単なんですよ。キーボードを弾いて、その音をスピーカーから出して、それを閉じ込めてホースでウニャウニャするという。海外でそれを自作してる人が結構いて、ネットにHOW TO動画も上がっていましたし、ホームセンターにあるもので作れるなと思って、挑戦してみたんです。でも、段ボールで作ると、出力がやっぱり弱くて。コンプレッションドライバーはホーンスピーカーにつけないと力が弱くなっちゃうんです。だから、ライブやレコーディングで使うまでには至らなくて、おもちゃの領域は出なかったですね。
ーーなるほど。でも、QY100だけを使っていた頃から比べると大きな進歩ですね。
JUVENILE:そうなんですよ。だから、最近のDAWを触って「わかりづらい」って言ってるのを聞くと、「ふざけんな」って思っちゃいます(笑)。
ーー(笑)。そうしてヒップホップに興味を持ち、機材の種類も変わってきて、外に開けていったわけですか。
JUVENILE:高校生の時は僕自身がまだJUVENILEと名乗っていたわけでもないんですけど、ヒップホップを聴くきっかけになった、隠れてちょっとヤンチャをしてる友達がいて。その子から「お兄ちゃんがラッパーだから来てよ」とライブに行ったのをきっかけに、「俺はラップやる」「俺はDJやる」とみんながやりたいことを見つけていく中で、「じゃあ、俺は曲作るわ」と。
ーー友達同士で1つのクルーみたいになっていたと。
JUVENILE:そうなんです。よく渋谷 VUENOSや田町のstudio Cube 326でライブを見たり、東京の千葉寄りに住んでいたこともあって、千葉のクラブStarNiteとかにもよく行ってました。そこから、「僕もやっぱり出たい!」と思うようになって。でも、DJじゃないし、歌も歌えないし、ラップをするのも抵抗があって、トークボックスをやり始めたんです。