ずらかって、帰って、またずらかる 『オデュッセイア』が迎えた最高密度のハッピーエンド

『オデュッセイア』最高密度のハッピーエンド

 なんども映画化されてきたこの物語にあって忘れがたいのが、イタリアの名手マリオ・カメリーニが監督をつとめた『ユリシーズ』(1954年)で主人公ユリシーズ(オデュッセウスのラテン名ウリッセースから派生した英語名)を演じたカーク・ダグラスの勇姿である。ノーランが崇拝してやまないスタンリー・キューブリックの史劇スペクタクル『スパルタカス』(1960年)で主人公スパルタカスを演じた名優にして、マイケル・ダグラスの父親である。『オデュッセイア』におけるマット・デイモンの演じるオデュッセウス像は、多分にカーク・ダグラスによるユリシーズ、スパルタカスの肖像が反映されていることだろう。

 カーク・ダグラスのユリシーズとマット・デイモンのオデュッセウスはほぼ同じイメージに収まるが、最後のイタケ王宮帰還シーンがまるで異なる。年老いた物乞い姿に身をやつしたユリシーズ=オデュッセウスが、ぶしつけな賓客どもを成敗する。この点は同じだが、カーク・ダグラスのユリシーズは怒りに駆られた大殺戮である。錠前を閉じた密室で展開されるため、『殺し屋1』(2001年/三池崇史監督)かと見まごうほどの凄惨さなのである。

 これと比較するとマット・デイモンのオデュッセウスは自重している。なぜならノーラン版では、2度の大殺戮――1度目はトロイアの木馬作戦、2度目は賓客成敗――において、オデュッセウスは主犯なのであり、みずからの暴虐性、加害性を思い知らされる体験だからである。大殺戮を犯しておきながらそれを反省する――オッペンハイマーも同類だ。

 2度の大殺戮大会がいずれも、閉じられた空間で開始されたことに注目しておきたい。木馬から抜け出して殺戮を開始したオデュッセウス一行は、城門の錠前を外し、城外で待機していた総大将アガメムノンの本隊を城内に迎え入れる。いっぽう、物乞い姿のオデュッセウスはイタケ王宮の錠をかけさせ、密閉空間を作らせる。2度にわたるこの気密性、密閉性があまりにも破局的であるために、反動的にIMAXの画面という画面が膨張し、拡散し、弛緩し、希薄化していくのが、映画『オデュッセイア』の原理なのである。

 2度目の大殺戮を完了したオデュッセウスと王妃ペネロペが王宮を後にし、フルムーン旅行に出かけるのは、亡き戦友たちの追悼儀式のためという大義に名を借りた、気密性・密閉性からの放散行為である。彼らはとうとう、白昼堂々ずらかることに成功した。夫だけがずらかって10年ものあいだ彷徨った。そして帰還した。さらに今度は夫妻水いらずでずらかる。これはもはや帰還の義務さえ背負わない無償のずらかりである。筆者はこれを最高密度のハッピーエンドと捉える。

 筆者はIMAX画面を3時間にわたり眺めながら、『アレクサンダー』(2004年/オリヴァー・ストーン監督)の方が優れていると感じていたのが実情である。この作品も主人公のアレクサンドロス大王(コリン・ファレル)が東征し、ペルシャを征服し、果てはインド付近にまで到達するうちに、凱旋できなくなってしまう物語だった。大王の側近がつぶやくセリフ「わたくしどもは、あまりにも遠くまで領土を広げたため、都では忘れられてしまったようです」。この拡散ぶり、遠心ぶりは『オデュッセイア』をはるかに凌ぐ。しかし、『オデュッセイア』のラスト、フルムーン旅行で愛の成就と、帰還なき航路を見据えたとき、この楽天的な光景にはアレクサンドロス大王も嫉妬するだろうと思われた。さようなら、オデュッセウス、ペネロペよ、永遠に海へと溶けてゆけ!

■公開情報
『オデュッセイア』
全国公開中
出演:マット・デイモン、トム・ホランド、アン・ハサウェイ、ロバート・パティンソン、ルピタ・ニョンゴ、ゼンデイヤ、シャーリーズ・セロン
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン
配給:ビターズ・エンド、ユニバーサル映画
© 2026 UNIVERSAL STUDIOS
photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:https://odyssey-film.jp
公式X(旧Twitter):https://x.com/odysseyfilmjp

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