『ちいかわ』のキャラたちはなぜ“名前で呼ばれない”のか? 初見勢が観た劇場版の衝撃
「食べる/食べられる」“食”の二面性
本作において重要な要素となるのが“食”である。セイレーンは仲間である人魚が島民に食べられたことから復讐として島民を攫い食している。セイレーンが食べ、島民が食べられるという構図だが、セイレーンの歌声によって島民の食糧が確保されていたことから、セイレーンのおかげで島民が食べることができていたという構造もみられる。
食べるという行為はそもそも他者を自己に取りこむことであり、それは他者との交流や一体化、そして一定の攻撃性を備えた行為である。本作のおもしろさはこの「食べる/食べられる」の関係が固定化されていないことにある。島民は食べる者でありながら食べられる者でもある。セイレーンは島民を食べる者ではあるが、同じ種族と思われる人魚はその肉が貴重なものとされ、食糧として狙われている立場にある。あるいは元来の、島民がセイレーンに食糧を献上し食べさせていたのに対し、セイレーンがその歌声によって島民の食糧を確保していたという「食べさせる/食べさせられる」という関係も見いだせる。本作では「食べる/食べられる」は一方的な支配関係ではなく、互いを切りはなせない循環する関係性として描かれている。
ちいかわたちもまた、“食”を通してつながり合っている。ちいかわが島二郎のカレーを食べたときに思いだすのは、ハチワレと一緒に食べたカレーの記憶である。本作が記憶しているのは料理そのものではなく、「誰と食べたか」という時間である。孤食や個食が問題視されて久しいが、わたしたちの食事は「何を」「いつ」食べたか以上に「誰と」食べたかが記憶に濃く沈着する。現代の生活スタイルではなかなか家族と食卓を囲めないことも多いからこそ、ちいかわたちが食の歓びを共有していることは希望にみえる。
藤原辰史は『縁食論 孤食と共食のあいだ』(ミシマ社、2020年)のなかで「最終的には胃袋に到達しなくても、同級生が食べているものの由来を共有できたことは、それだけで、広義には食べることになるのだと思う」と述べている。ちいかわたちが島に着いたばかりのときに一緒に食べた限定スイーツや激辛カレーは、まさしく「食べること」であったといえるだろう。彼らは時間と場所を共有し、食の思い出を共に重ねたのだから。
食べることは他者を一方的に取りこむ暴力性をはらんでいる。しかしそれと同時にまた食べることは、誰かと食卓を囲むことでもあり、親密性を深めることでもある。本作は食のもつ二面性をあざやかに描きだすことで、不穏なラストシーンにより一層深みをもたらしている。
名前を呼ぶことで自己と他者を区別するのではなく、食卓を囲み、感情を共有することで関係を築いてゆく。『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、“共感”と“食”を通して、他者とのあいだに引かれた境界をゆるやかに乗り越えてゆく映画である。だからこそ映画の最後はハチワレの「帰ったらさー何食べよっかァ」で締められるのだ。またちいかわたちは食卓を囲む、そんな未来をともに生きる約束のような最後がいつまでもこころに残っている。
参照
※ 加藤秀一『性現象論 差異とセクシュアリティの社会学』(勁草書房、1996年)
■公開情報
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』
全国公開中
キャスト:青木遥(ちいかわ)、田中誠人(ハチワレ)、小澤亜李(うさぎ)、井口裕香(モモンガ)、内田雄馬(ラッコ)、淺井孝行(くりまんじゅう)、島袋美由利(シーサー)、春海百乃(古本屋)、最上嗣生(島二郎)、鈴木みのり(セイレーン)
原作・脚本:ナガノ
監督:及川啓
キャラクターデザイン:辻智子
コンセプトアート:橋本真樹
プロップデザイン:高妻匠
色彩設計:長井彩香
美術監督:眞﨑萌
CG監督:中野祥典
撮影監督:岡﨑正春
編集:高橋歩
音響監督:土屋雅紀
音響効果:倉橋裕宗(オトナリウム)
音楽:トクマルシューゴ/上水樽力
アニメーションプロデューサー:溝口侃
アニメーション制作:サイピク
製作:川上洋一、古澤佳寛
エグゼグティブプロデューサー:松崎容子
プロデュース:今福太郎
プロデューサー:小峯雅隆、障子直登
宣伝プロデューサー:林原祥一、斎藤愛子、狩野裕明
製作幹事:QTORY inc.
配給:東宝
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