『令和のダラさん』は今期最大のダークホース 民俗学ホラー×コメディを両立した必見作に

 近年、アニメにおいて日常のすぐ隣に潜む「怪異」を描き出したオカルト作品が、かつてないほどの熱を帯びている。『ダンダダン』や『光が死んだ夏』といった、原作コミックの時点ですでに爆発的な人気を誇り、時代の寵児となった作品群が次々と世に放たれ、ひとつの大きな潮流を形成していることは記憶に新しい。いずれも、従来のホラーの文脈に現代的な要素や青春ドラマを見事に掛け合わせた傑作だ。そしてこの7月、それらの系譜に連なる“令和の必見オカルト作品”として、密かに、しかし確かな期待とともに世に送り出される作品が『令和のダラさん』だ。

TVアニメ『令和のダラさん』本予告第二弾 | 2026年7月2日(木)放送開始

 物語は、現代に生きる日向と薫というきょうだいが、禁足地として知られる山奥で恐ろしい半人半蛇の怪異「屋跨斑(やまたぎまだら)」に遭遇するところから幕を開ける。しかし、彼らは彼女を怖がったり逃げたりするどころか、その怪異と普通に会話し、「ダラさん」と名付け、あろうことか日常的に彼女に会いにいくようになる。本作はそんな彼らの日常をとらえたオカルトコメディの部類に当たる作品だが、キービジュアルや物語の導入部だけを見ると、少し特殊な、あるいは特定のフェティシズムを満たすニッチな作品のように映るかもしれない。なにしろ、複数の腕を持ち、本来であれば畏怖の対象でしかない巨大な異形が、現代の若者たちによって露出度の高い服や奇抜なコスプレを着せられ、困惑する姿が描かれるのだから。

 しかし、『令和のダラさん』は“そういう話”でもないので(いや、実際そういう話でもあるけど)、それだけで判断してスルーしてほしくない。「なんだ、ただのフェチ作品か」と高を括って作品から離脱してしまうのは、本当にもったいないくらい面白いのだ。むしろ本作は『ダンダダン』のようなポップな雰囲気を持ちつつ、『光が死んだ夏』の持つ本格的な民俗学ホラーの要素を持つ、今期ナンバーワンのダークホース作品。癖まみれではありつつも、コメディとエグめな内容のバランス感がありえないほど卓越した、本作の魅力に迫りたい。

毎話明かされていく、作品の真の恐ろしさと深み

 ダラさんときょうだいの邂逅が描かれる第1怪は、正直、情報量が多すぎる。まずは明らかに妹に見えていた金髪碧眼で白人の薫がロリではなくショタ(小学5年生)で、兄と思われていたボーイッシュな日向がお姉ちゃん(中学2年生)なのだから、この時点でいろいろ乗せてきている。それに加えて、怪異なので服を着ずに過ごしていたダラさんに「そのままだと目のやり場に困るので」と、服や下着を着せることにしたり、ちょっと薫が人外デカお姉さんフェチだったりと、眉間を指で抑えて考え込みそうになる要素が多い。加えて、普通にダラさんが怪異としてカッコいいし、エッチだ。しかし、そういった作品の基礎に慣れると(すぐに慣れる)、もはやそういうフェチ要素がカモフラージュなのでは、と思うくらい、作品そのものの面白さに慄き始める。

 特に本作の深みは、物語が進むにつれて毎話少しずつ明かされていく、ダラさんの「過去パート」に集約されている。現代の明るく能天気な日常描写とは対極に位置するこの過去の記憶は、とにかく凄惨で、容赦のない残酷さに満ちている。かつて、閉鎖的な村の因習によって理不尽な生贄となり、誰からも愛されることなく、ただひたすらに苦痛と怨念を抱えて祟り神へと変貌させられた彼女のルーツ。そこには、人間の持つ果てしないエゴと業の深さ、そして血塗られた土着信仰のおぞましさが、生々しいまでの解像度で描き出されている。

 原作読者の間でも、「ギャグだと思って読んでいたら、過去編のあまりのむごさに言葉を失った」「本格的な民俗学ホラーとしての完成度が異常に高い」と、その激しいギャップに震える声が後を絶たない。この過去パートが持つ圧倒的な闇の深さと、怪異としての純粋な恐ろしさが確固たる背骨として機能しているからこそ、本作は単なるキャラクターコメディに陥ることなく、極めて上質なオカルト作品としての強度を保っているのである。

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