ブライアン・デ・パルマによる“魔改造”リメイク作 『スカーフェイス』がいまも鮮烈な理由
どギツくカルト的な印象を残す、アル・パチーノ主演のギャング映画『スカーフェイス』(1983年)が、6月5日より全国劇場にて順次、期間限定公開されている。小説を原作とした同じ原題(「スカーフェイス」)を持つ往年の名作映画『暗黒街の顔役』(1932年)を、80年代の社会問題を投影するかたちで翻案し、当時の熱気やカルチャーを複雑に絡み合わせ、“怪作”といえるレベルに到達した、“魔改造”リメイク作である。
ここではそんな、どのギャング映画とも異なる特徴に溢れた本作『スカーフェイス』が、なぜこんなにも鮮烈なのか、そして、いま観ても心を打ち抜く点について考えていきたい。
もともとアーミテージ・トレイルによる原作小説は、実在のギャングであるアル・カポネをモデルにした、イタリア系マフィアのトニー・カモンテを主人公に、その生涯を描いたものだった。翻案された80年代版である本作では、アル・パチーノ演じる主人公の名を、キューバ出身のトニー・モンタナへと変えている。
キューバ人のトニーは、1980年に実際に起こった政治危機「マリエル難民事件」において、反カストロ主義者として国から追放され、フロリダ州マイアミへと流れてきた前科者であるという設定。仲間たちのなかで英語が達者で、とにかく口が上手い。キューバ時代の収監時に培った根性と度胸を頼りに、強引な交渉術を駆使しながら、あらゆるリスクを背負って危険な成功を掴んでいく男である。
いかにもギラギラとした貪欲さをたぎらせた表情を見せるトニーの尽きせぬ野望は、そのまま80年代の資本主義的な貪欲さの構造へと直結していく。彼はハンサムな弟分のマニー(スティーヴン・バウアー)とともに、マイアミの麻薬王フランク(ロバート・ロッジア)から暗殺や麻薬取引などの汚い仕事を請負い、その度胸を見込まれて部下となる。そうして裏社会でのし上がっていくトニーだったが、やがてフランクの情婦であるエルヴィラ(ミシェル・ファイファー)の妖しい魅力に惹かれていくのだった。
本作最大の特徴は、一言でいえば“過剰”という言葉に尽きるだろう。暴力、演出、演技、映像……どの側面を見ても、あらゆる点に過剰さが潜んでいる。例えば、トニー・モンタナが裏社会で見せる初仕事のシークエンスでは、麻薬取引の場において、いきなりチェーンソーによって仲間が切り刻まれるという事態が発生。観客を呆然とさせるような衝撃的な鮮血の描写が炸裂する。
そこから描かれる顔役との交流や、トニーが成功しながらも次第に疑心暗鬼に囚われていく過程、あるいは妹や恋人との関係に至るまで、イタリアの作曲家ジョルジオ・モロダーらによって書かれた劇中歌「Scarface (Push It to the Limit)」に代表される「これぞ80年代」というべき派手な雰囲気とともに、演出のボルテージは上がり続ける。
いま聴くと、いや当時としてもおそらくダサいと感じさせる、ギャング映画の冷徹な空気感にまったく合っていない楽曲の強烈な違和感が、こうしたエクストリームな内容に作用し、この映画を単なる犯罪映画から怪作といえる雰囲気へと押し上げている。『ゴッドファーザー』シリーズのような重厚でクラシカルなオーケストラや、後の『グッドフェローズ』(1990年)のような洗練されたロック、ポップスの選曲とは真逆をいくアプローチである。
しかし皮肉なことに、ここでの軽薄で人工的なシンセサウンドは、主人公トニー・モンタナという男の成金根性の底の浅さそのものだと感じさせる。ゴールド製品に囲まれてジャグジーで葉巻を咥えるといった彼のビジュアルも、それを分かりやす過ぎるほどに分かりやすく示している。この時期にブライアン・デ・パルマが撮った『ボディ・ダブル』(1984年)で流れるフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「リラックス」同様、過剰な悪趣味さを意図的に批評的なものに転化しているのである。