エメラルド・フェネル版『嵐が丘』なぜ賛否両論に? 過激な性描写が暴く古典文学の本質

『嵐が丘』が賛否両論となった理由を考察

 エメラルド・フェネル監督らしいのは、とくにキャサリン、イザベラ、ネリー、その他の使用人などの女性たちが、原作よりも主体的な存在として強調され、明確な欲望を持って動いている点だ。例えば、キャサリンが使用人のSMプレイを覗き見したり、荒野で自慰行為にふけるシーン。後者はヒースクリフがキャサリンの指を舐めて体液を味わうという過激描写が印象に残ってしまうが、ここではきわめて保守的な時代背景のなか、善悪の地点を超えて自身の欲望に従っている女性の姿の方が、より重要な描写なのではないか。

 イザベラは、現在でいうところのSMプレイにおける「ディシプリン」(調教)を施されるのだが、犬のように繋がれた彼女をネリーが助けようとしたときにパチっとウインクをすることで分かるように、彼女は理性を保ったまま、あえて調教を受け入れていると描写されている。これは、主体的にマゾヒズムを選び取る女性の強さを描いた、ニコール・キッドマン主演の『ベイビーガール』(2024年)に通じる表現だといえる。ちなみに、この改変によって、ヒースクリフの振る舞いが原作よりも一部ソフトに解釈でき、切ないラストシーンにも感情移入しやすいバランスになっている。

 こういった現代的なフェミニズム要素を作中にとり入れる部分が、フェネル監督が古典文学に息を吹き込む第一の理由だと考えられる。その意味では『プロミシング・ヤング・ウーマン』の方が、より家父長制や男性優位社会へのラディカルな反発という意味において分かりやすい部分があったといえよう。しかし、前述したような露悪的な部分というのは、『プロミシング・ヤング・ウーマン』にもすでに凶悪なかたちで顔を出していたことも確かだ。筆者は、この部分にフェネルが社会的な図式よりも、パーソナルな方向へとシフトしようとする意識を読み取る。その意味で、本作はよりフェネル監督の内面が追求された内容だと言えるのではないか。ちなみに、その鮮烈かつパーソナル、センセーショナルな作風は、フランスの鬼才カトリーヌ・ブレイヤ監督のそれにも近いといえよう。

 フェネル監督は14歳のときに原作小説を読んだ際に受けた衝撃を、本作に焼き付けたと語っている。ということは、つまりエミリー・ブロンテとエメラルド・フェネルの間に共通する意識があるということだ。では、エミリー・ブロンテはそもそも『嵐が丘』で何を表現したかったのか。

 エミリー・ブロンテは、長い年月をムーアの牧師館で過ごし、『嵐が丘』のキャサリン同様に広い人間関係を持たなかったらしい。そんな彼女にとっての人間との交わりとは、社会的な駆け引きや甘い告白の交換というより、自分と、兄弟姉妹と、荒野の自然などとの親密な共感だったのだと考えられる。だから、彼女が小説を書くときに他者と深く繋がる表現を想定したとき、そこにあったのは、相手に“同一化”することだったのではないか。それがキャサリンの「私はヒースクリフ」という精神的なセリフに集約されている。

 その上で、ヒースクリフが既存の伝統的な社会や身分の垣根を壊していく怪物性を発揮することに、大きなカタルシスを覚えていたのではないか。つまり、ヒースクリフがキャサリンと同一であることで、この破壊行為をおこなっているのがキャサリン自身でもあるということなのだ。家父長制はじめ、当時の封建的なしがらみを、自身が同一化した怪物にぶち壊させる……エメラルド・フェネルが小説を読んだときに得た“衝撃”とは、つまりこの背徳的で爽快な破壊だったのではないか。だからこそフェネル監督は、自身の持ち得る露悪的な情熱と鮮烈な性表現を駆使して、狂気を帯びた破壊そのものに身を投じることで、エミリー・ブロンテの本質を掴み直そうとしたのだと考えられる。

 しかし、もちろんエミリー・ブロンテとエメラルド・フェネルは、共通する精神を持ちつつも、ものごとの価値観や恋愛観などは、時代と環境によって全く異なるところにある。だからこそ本作では、この“同一化”を、より確かな肉体の繋がりとして描いたのではないか。本作における最も重要な瞬間は、ヒースクリフが雨に打たれ立ち止まり、キャサリンにキスをするために戻ってくる選択にこそあるだろう。ここから始まる、濃厚な不倫描写の数々は、ふたりが真に同一の存在へと至る過程における、フェネルなりの現代的な実感でありリアリティなのではないだろうか。そもそも原作では、語り部によってストーリーが語られることで、ふたりがどのように“同一”になっているかの説明が希薄なのである。

 そしてラストで明かされる、オリジナル設定。ここでの、これまでのエログロ、鮮烈な内容にそぐわないほどの淡い“胸キュン”描写もまた、エミリー・ブロンテが体験できなかったかもしれなかった“同一”のかたちであり、エメラルド・フェネルの考える、恋愛のパーソナルな真髄であるのだろう。つまり、エメラルド・フェネル版『嵐が丘』の正体とは、フェネルがエミリー・ブロンテと片手で手を繋ぎながら、もう片方の手で、自身の愛する、もしくは愛していた誰かの手を握っていた姿なのだと想像できるのである。

■公開情報
『嵐が丘』
全国公開中
出演:マーゴット・ロビー、ジェイコブ・エロルディ、ホン・チャウ、オーウェン・クーパー
原作:エミリー・ブロンテ
監督・脚本:エメラルド・フェネル
製作:マーゴット・ロビー
音楽:チャーリー・XCX
配給:東和ピクチャーズ・東宝
原題:Wuthering Height
©2026 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる