『テミスの不確かな法廷』が問う“地球人”としての在り方 「助けて」を言える社会のために

 少女の本当の名前は、来生春。母親が出生届を出さず、無戸籍の状態になっていた彼女は学校に行くこともなく、認知症を患った祖母の介護を一人で背負わされていた。とうとう耐えきれずに家から逃げ出そうとしたところ、それを阻止しようとする母親と揉み合いになり、突き飛ばした拍子に母親は頭を打って死亡。自らも命を絶とうとしていた春をグエンは助け、そのまま自宅で保護していたのだ。

 グエンにベトナム語で春を意味するスワンという名前を与えられた彼女は、まさに生まれ変わったような感覚だったのではないだろうか。グエンに字を教わり、ノートにやりたいことを書き溜めていた春。勉強することはおろか、お腹いっぱいになって、ぐっすり眠ることも彼女にとっては初めてだった。一つひとつ尊厳を取り戻すたびに元気になっていく彼女の姿を見て、グエンは「救われた」と法廷で話す。グエンは重い病気を抱えた妹の治療費を稼ぐために就労ビザを取得し、日本へやってきたが、その妹はすでに亡くなっていた。妹を助けられなかった代わりに春を救うことで、満たされたい心があったのかもしれない。

 虐待の連鎖、無戸籍問題、ヤングケアラーなど、この事件には多くの問題が絡んでいる。グエンが日本で孤立していたのは、外国人差別も関係しているのだろう。グエンと同郷の仲間から「日本人、私たちに冷たい」と言われた安堂がこぼした「同じ地球人なのに」という言葉が印象的だった。発達障害ゆえに社会に馴染めない安堂は自分を「宇宙人」と称するが、春とグエンも同じ気持ちだったのではないだろうか。社会に存在しないことにされていた春と、どこにも居場所がなかったグエン。2人は国籍や年齢、性別などの違いを超えて、互いを支え合い、心と心で通じ合っていた。

 グエンには懲役1年6カ月、執行猶予なしの判決が下される。もし落合があの時、普段通りの歩みを止めなければ、箱の中から出なければ、春が命を絶ち、真実は闇の中に葬られて、もっと重い罪になっていたかもしれない。グエンは出所後、強制送還となるが、グエンも春も生きている。どんなに困難でも、生きている限りはまた会える。その事実がどれほど2人を救うだろう。生きて、必ずグエンに会いにいくと誓った春に、落合は「これからも辛い現実に直面することはあるかと思います。その時は『助けて』と声をあげてください」という言葉を送った。

 インターネットの普及と交通網の発達により、どこへでも行ける時代になったにもかかわらず、私たちが囚われている箱はどんどん小さくなっているように思える。特に厄介なのは、スマホという大きいようで小さい箱。そこには有名人のスキャンダル、いじめの動画、外国人観光客によるマナー違反を訴える投稿など、絶えず色んな情報が届く。その出来事の原因や背景には、今回のように様々な事情や問題が絡み合っているかもしれない。だけど、あまりに次々と情報が届くものだから、それを早く自分の中で処理しようとして、安易に善悪の判断を下し、正義を盾に誰かを攻撃する、あるいは真偽を確かめずに二次拡散しがちだ。そのことが誰かの人生を大きく変えてしまうかもしれないことに対して、私たちは鈍感になりすぎているのかもしれない。最悪の場合、誰かの命が消えてしまっても、「自分のせいじゃない」と思い込むことで前に進む。

 「冷静、それとも冷酷?」という津村から落合への問いは、そんな私たち一人ひとりに向けられたものでもあるように感じた。自分の箱に届いた情報が本当に正しいのか、別の真実が隠されていないか。立ち止まって考え、場合によっては箱の中から飛び出して、自分がわかっていないことに手を伸ばす。それがもしかしたら、誰かのSOSに気づくきっかけになるかもしれないから。

■放送情報
ドラマ10『テミスの不確かな法廷』
NHK総合にて、毎週火曜22:00~22:45放送(全8回)
※毎週木曜24:35〜25:20再放送
NHK ONE(新NHKプラス)で同時・見逃し配信予定
出演:松山ケンイチ、鳴海唯、恒松祐里、山崎樹範、山田真歩、葉山奨之、小木茂光、入山法子、市川実日子、和久井映見、遠藤憲一 ほか
原作:直島翔『テミスの不確かな法廷』
脚本:浜田秀哉
音楽:jizue
演出:吉川久岳(ランプ)、山下和徳、相良健一、富澤昭文
制作統括:橋立聖史(ランプ)、神林伸太郎(NHKエンタープライズ)、渡辺悟(NHK)
写真提供=NHK

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