カンザキイオリ『自由に捕らわれる。』はなぜ生まれた? 性の扱い方を教えてくれた『SATC』

カンザキイオリにとっての重要作『SATC』

 ところで、あなたはセックスが好きですか? プライベートなことですし、生々しいことですし、人によっては毛嫌いする方もいるでしょう。日常生活では面と向かってこんな質問をされることなんて滅多にないでしょうし。

 聞いておいてなんですけれども、僕だって、こんな問いをされたら、返答に困ります。それは28年生きてきた僕ですら、答えが時と場合によって変わってしまうからです。それはセックスにはさまざまな側面があるからです。肉体的な快楽のものもあれば、愛情表現のものもあるでしょう。子孫を残す手段だけだと思っている方もいるでしょうし、自己承認を得るための行為だったりもします。

 そして、僕たちの社会にも深く影響しています。例えば僕は男子ですから、僕のみてきた学生生活では、「誰が一番早く童貞を捨てるか。童貞を捨てたか。誰が誰とセックスをしたか」みたいな話でよく盛り上がっていました。学歴、運動、の次にある隠れた評価基準。隠しコンテンツみたいな奇妙な存在。それがセックスでした。あなたはセックスの科目は、A+でしたか?

 僕が嫌なところは、セックスってぇやつが、度々人生の邪魔をするところです。セックス自体はとても自由な存在だとは思うんです。だけど、セックスを取り巻く社会が、何となく不自由だなと思います。公の場では性の話題を率直に語るとそれだけではしたないという評価にもなります。例えば若い女性の方が、性に積極的だと「軽い」と噂されることもあるでしょう。男性でも、性の悩みは基本的に打ち明けづらいものです。なのに、誰しもが向き合わなければいけない。触れづらい「禁忌」の側面を持ちながら、人間に必要不可欠な側面を持っている。それがなかなか難しいです。

 考えれば考えるほど悩んでしまう方もいるかもしれません。そんなあなたに、はい、ドンこちら!

『セックス・アンド・ザ・シティ2』

 未成年の方は、ちょっとだけ刺激が強いので、もし調べる際は気をつけてくださいね。なぜかというと、この作品にはガッツリセックスシーンが入っているわけです。あ、もちろんその部位は見れませんよ! 期待した方はごめんなさい。目を瞑って、想像力で補ってください。作品というのは大体そういうものです。

 この映画は、ドラマシリーズから人気を経て、映画第1作目を経て描かれた、劇場版第2弾です。

 ドラマシリーズが放送されたのは、1998年のようです。ちなみに僕は1歳。チンチンの存在もあんまりよく分かってなかったことでしょう。そもそものこの物語は、チャーミングで、フレキシブルな女性たちの赤裸々な本音と友情を描いています。チャーミング!

 この作品の素敵なところは、「セックス」だけを語らないこと。本質は、人と人との心の育み、そして関係性についてです。勝手に僕がそう思ってます。「好き」や「嫌い」より前に、関係って、毎日ちょっとずつ手入れが必要なんだな、と感じさせられます。

 人と人はこうあるべき、と思うときがあります。だけど、その縛りを全て否定する。そしてときに肯定する。この作品を観ていると、縛りから自由になれます。それは自分の思うセックスのあり方。いや、セックスから派生する人生のあり方。こうあるべきという感覚が、全て小さいものだと気づくからです。

 この映画の主役キャラクターは4人。キャリー(サラ・ジェシカ・パーカー)、ミランダ(シンシア・ニクソン)、シャーロット(クリスティン・デイヴィス)、サマンサ(キム・キャトラル)。主人公はキャリーと位置付けられていますが、実際はこの4人を起点に物語は動きます。

 簡単に説明します。まずはキャリー。ドラマシリーズ、映画第1弾を経て結婚生活に入ったキャリー。だけど倦怠感や価値観のズレ。子供を持つべきか、持たないべきか。望んでいるもの、望んでいないもの。

 そしてとうとう夫から、「週に2日、休みが欲しい」と提案されます。別居というより、“2日オフ”。その言葉が妙に刺さります。休みが必要になるのは、嫌いになったからじゃなくて、たぶん続けたいからなのに。

 次にミランダ。彼女は典型的なビジネスウーマン。家庭と仕事の両立に悩み、とうとう仕事を辞めて、初めて子供の授業参観に行くことが出来た。それでも彼女の心には仕事をしたいと言う強い思いが眠っている。「ちゃんとしたい」のに、「ちゃんとできない」。その現実的な板挟みに苦しみながら、嫌な上司を突っぱねて、仕事を堂々と辞める。

 そしてシャーロット。ずっと子供が欲しかったシャーロットは、養子と出産を経て2人の子供の世話に翻弄されるばかり。自分が望んでいたのに、ときに部屋の扉を閉めて一人閉じこもり泣いてしまう。ノーブラのベビーシッターの存在が心を支えてくれている。

 ベビーシッターは魅力的で、もしかしたら夫が浮気してしまうかもしれない。そう感じたときに出てくる感情が「夫が奪われる」じゃなくて「ベビーシッターがいなくなるのが怖い」。愛より先に生活が出る。

 最後にサマンサ。閉経に抗うようにビタミンサプリ、ホルモン剤を大量(44錠)に接種しながら、今までと変わらないありのままのセックスライフを満喫している。彼女はいつも、セックスに正直。

 どうだろう。面白く紹介できているかな。これだけで、観たいと思ってくれたら嬉しいよ。刺さる人には刺さるかな。だってこれは、若さの恋愛じゃなくて、大人になってからの生活の話だからです。大人ってどんな恋愛をするんだろう。とか、もっと自由な生活をしてみたい、とか、自分の人生が少しだけ不自由に感じている人には、とても刺さるかも。

 ドラマシリーズでは、彼女たちは皆独身だった。だからこそ今回の映画で描かれているのは、大人の女性の生活と選択でもあります。

 まさに若さだけではいかない人生の始まり、「結婚」から物語は始まります。だけどそれは彼女たちの結婚じゃない。彼女たちのゲイの親友、スタンフォードとアンソニーの結婚式です。

 同性愛者の結婚式。日本とは違いますね。でも、この映画の時点のニューヨークでは、まだそれが当たり前じゃなかった。だから彼らはできる場所で結婚する。州をまたいで祝福しに行くんです。コネチカットまで。自分で自分の愛の証明のために、選ぶのです。

 それに加えて結婚式のシーンでの一言。「浮気はOK。同性婚が認められていない45の州でなら」。そんなことが許されるのか……!? それぞれが良ければ、良いのか!? ニューヨークを生きる彼女ら/彼らには、それぞれの関係が自由に描かれています。女性はこうあるべき、男性はこうあるべきなんて強要に負けない。もちろん、「こうあるべき」と思う思想ももちろん許される。許し合う。

 そして結婚式の後、とうとう彼女たちにスポットが当たる。

 19分30秒。結婚式後のホテルにて。結婚式でいい男を見つけたサマンサの濃厚雄叫びセックスシーン。の、そばで包まったベッドシーツに腰を振ってる犬。の、横に転がってるコンドーム。とは別の部屋で、泣き叫ぶ子供をあやすシャーロット。

 その音に挟まれるキャリーと旦那のミスター・ビッグ(クリス・ノース)の部屋。種類の違う騒音に、「どっちがひどいかな」と呟くビッグに返したキャリーの秀逸な一言が忘れられない。「サマンサ。子供は疲れるから」。

 ドラマシリーズから続く、セックスから枝分かれしていく彼女たちのさまざまな影響と、その結果生まれる社会性を心から楽しんでいる様が描かれています。そして、それを糧に成長している。

 この映画を若いとき、と言っても20歳の頃ですが。そのときに観た僕は、ああ、自分の性的嗜好はおそらく創作になる。とすぐに思いました。好きか、嫌いか、じゃなくて、「書ける」と思ってしまいました。自分は自分の作品を、「書ける」。

 もちろんこの映画に描かれていることはいいことばかりじゃない。悲しいことだってもちろんある。だけど、それを乗り越えて成長している。性から生まれる欲望というのは、決して悪いものだけじゃない。

 僕はそう感じたからこそ、堂々と『自由に捕らわれる。』という小説を書きました。『自由に捕らわれる。』では、少年と大人、という一般的倫理観では「禁忌」である関係性を扱いました。

 書く前、正直何か波紋を呼ぶだろうという迷いもありました。

 この歳の差感を描いたのは、自分が年上の人が好きだったからということが一つあります。そして、自分が子供だった頃、家族ではない理想的な大人が、自分を助けてくれたらと、思い描いて生まれたキャラクターです。

 読者に受け止められるのだろうか、このテーマはセンシティブすぎないだろうか、と、どう書いていくべきかをとことん迷いました。

 だけど、僕が書きたかったのは、自分の見たいBL漫画を書きたいという思いの、さらに奥にある、当事者たちの、純粋な想いを余すことなく書き切りたいという欲望でした。他者から見れば「間違っている」と、「それはおかしい」と思われる関係の中でも、当事者の中では紛れもない愛であり、紛れもない真実です。感じたことは偽れない。表面上は騙せても、心の奥はずっと、決まっている。

 映画でもそれぞれ、彼女たちは自分を貫いていく。キャリーは、夫婦同士のマンネリや、不定の事実、誓いの言葉、全てを言葉にしてビッグに伝える。

 ミランダは、家庭も想いながら、新たな仕事へハジけて進んでいく。自分を軽く扱う場所に居続けない。尊厳を守ります。

 シャーロットは、ときに疲れて「母」をサボりながら、完璧な母ではなくとも、家族を愛することを決めた。理想を捨てるんじゃなくて、理想と現実の両方を抱えます。

 サマンサは、イーストハンプトンの砂丘。更年期だろうがなんだろうが、欲望を否定せず、花火をバックに男とセックスをする。年齢も体調も含めて、それでも自分であることをやめません。

 彼女たちは自由を貫いている。ならば、僕も、自由な作品を書きたい。僕が『自由に捕らわれる。』という小説を書けたのは、きっと、『セックス・アンド・ザ・シティ』があったから。性を「恥」じゃなく「材料」として扱っていい、と教えてくれたからです。

 僕は僕が書きたいものを書いた。多分、間違ったものは書いていないはず。少なくとも、「間違っていない」と言えるところまで、ちゃんと迷いました。迷いきりました。

 だからこそ形にしました。僕の書きたいものを。そして、僕は僕が同性愛者であることを公表しました。だって僕のこの思想だって、全ては創作に繋がるのだから。

 ところで。あなたはセックスが好きですか?

 さまざまな理由があるでしょう。人には人の。もちろん、僕にも。まだセックスを知らないあなた。なんて事はない。緊張も、尊敬も、もしかしたら見下している部分もあるかも? でもその想い全てが自由です。

 大事なのは、僕たちが人であるということ。セックスには、人、が付きまとう。人と人とが出会わないと物語は始まらない。そして、出会った瞬間に、僕らは少しだけ捕らわれます。捕らわれるからこそ、物語は続きます。

 触れ合ったその先にある、あなたの気持ちを、どうか教えてください。あなたはセックスと、己の性と、どのように向き合いますか。

 どうか少しだけ迷い、そして迷い疲れたあなたに。この映画が届くことを祈ります。

 あなたの気持ちは、決してタブーなんかじゃありません。あなたの気持ちは、自由なのだから。

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