『ちょっとだけエスパー』最終回を観て信じたくなった“世界” 野木亜紀子の“愛”を読み解く

 「この先、もう大きな成功は望めない」「何かを成し遂げる未来は残っていない」――そんな感覚を、特別な弱音ではなく“現実”として抱えて生きる大人が珍しくなくなった2025年。 脚本家・野木亜紀子にとって初のSFドラマとなる『ちょっとだけエスパー』(テレビ朝日系)は、まさにその閉塞感のただ中に差し出された作品だった。

 未来を予測し、管理し、効率よく最適化しようとする社会。その過程で、「いらない人間」と線引きされた大人たちが、ほんのわずかな超能力を与えられる。だが本作が描こうとしたのは、能力の強さや優劣を競う物語でも、世界を救うヒーローの誕生譚でもない。

 人生の折り返し点をとうに過ぎ、これから先に用意された“正解の道”が見えないまま、それでも日々の選択だけは突きつけられる人々の姿だ。文太(大泉洋)をはじめとする“ちょっとだけエスパー”たちは、未来を劇的に変えるために選ばれた存在ではない。むしろ、何者にもなれなかったかもしれない、どこにでもいる大人たちだった。

描かれるべくして到達した、何も持たない大人たちの“野木版SF”

 野木作品に一貫して流れているのは、「個人の選択が、社会のなかでどのような意味を持つのか」という問いだ。 『アンナチュラル』(TBS系)では死の背景を辿ることで不可視化されがちな社会の歪みを言語化し、『MIU404』(TBS系)ではピタゴラ装置を用いて判断の連鎖がもたらす結果を描いてきた。近年の『海に眠るダイヤモンド』(TBS系)ではさらに視野を広げ、ひとつの時代を生きた人々の選択が、世代を越えて受け継がれていくさまを描き出した。

 そうした流れの先に、『ちょっとだけエスパー』は位置づけられる。だからこそ、文太たちをエスパーに選んだ謎の会社「ノナマーレ」の社長・兆(岡田将生)が放つ、「あなたたちが“いらない人間”だからですよ」という言葉は、あまりにも冷酷で、あまりにも現実的だった。

 物語の中心にいるのは、人生の折り返し点を過ぎ、「この先、何かを成し遂げたり、未来に何かを残したりすることはないかもしれない」と薄々感じながら生きている大人たちだ。それなりに過ちを犯し、悔い改めて真面目に生きようとしても、もはや取り返しはつかない。社会の仕組みや時代の大きな流れからこぼれ落ちた彼らの姿に、明日は我が身だと感じる視聴者は少なくなかったはずだ。

 だからこそ、野木作品は何度も私たちを救ってきた。『スロウトレイン』(TBS系)や『コタキ兄弟と四苦八苦』(テレビ東京系)で描かれてきたように、社会的成功物語の中心から外れ、「何かを残す存在」としては語られにくい大人たちであっても、日々の選択を通じて、確実に誰かの現在や未来に関与していることを描く物語に。『ちょっとだけエスパー』もまた、その思想の延長線上にある。何も持たない大人たちが、ほんの小さなきっかけで世界に触れ、何かを変え得る。その物語が、“野木亜紀子版SF”として結実したこと自体が、この作品の希望なのだ。

視聴者も“ちょっとだけ未来が読める”感覚を与えた演出

 触れている間だけ、人の心が少しだけ読める。文太が手に入れた能力は、一人で世界を変えていくほど大げさなものではなかった。しかし、だからこそ、撫でると花を咲かせることができる桜介(ディーン・フジオカ)や、動物にお願いができる半蔵(宇野祥平)、ほんのり温めることができるレンチン系エスパーの円寂(高畑淳子)ら、他の“ちょっとだけエスパー”たちと協力しなければならないという気持ちにさせたはずだ。

 1人ひとりの持つ力はささやか。でも、それが「自分たちにはこれくらいがちょうどいい」という安心感にも繋がった。そして彼らは気軽なミッションを重ねて、「これくらい」な自分たちでも力を合わせればなんとかなるという自信を取り戻していく。誰もくれなかった再起のチャンス。むしろ自分たちが社会の役に立てるという手応えは、「この先何かを成し遂げる未来などない」「未来に何かを残すことなどできないかもしれない」と絶望していた大人たちにとって、この上ない甘い蜜だったように思う。

 同時に、彼らを見届ける私たち視聴者にもちょっとだけ未来が読めるという能力が、各話の冒頭に仕掛けられていた。

「BUNTASTARTSWORKINGHEBECOMESANESPUSERHEGETSAWIFEBUTHEMUSTNOTLOVE」

 これは第1話の冒頭で表示された英文だ。一見すると、何が書かれているかわからない。だが、「ノナマーレ」の社名が「NONAMARE=Non amare(愛してはならない)」から来ているという展開に、この英文を読み解くヒントが見えてくる。文章として整えると「Bunta starts working. He becomes an ESP user. He gets a wife, but he must not love.(文太は働き始め、エスパーとなり、妻を得る。しかし、愛してはならない)」と読めた。

 兆の指示で四季(宮﨑あおい)の夫の“ぶんちゃん”として立ち振る舞う。それもひとつのミッションのはずだった。だが、真のミッションは四季を「愛してはならない」だった。しかし、四季に触れると彼女が本心から“ぶんちゃん”を愛しているという。その謎に引っかかりながらも、真っ直ぐで愛情深い四季に文太が次第に惹かれていく未来が見えた。さながら、我々全員が一瞬未来が読める系エスパーといったところだろうか。

 しかし、その真意が腑に落ちるのは、エピソードを見進めて、登場人物たちが選択を重ねた後だ。 これから起こることに“ちょっとだけエスパー”として、少し優位に立ち回れているはず。なのに、一つひとつの出来事に心が乱される。なかなか思い通りに進まない。自分にも何かできそうに思えて何もできない。その残酷な現実を、SFというフォーマットによって鮮明に映し出していた。

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