『ウィッシュ』アーシャは歴代ディズニーヒロインと何が違う? “実は悪役説”にひそむ誤解

ディズニーのアニメ映画『ウィッシュ』が、12月12日に『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で地上波初放送される。同作はディズニー100周年記念映画として制作された作品で、公開当時“新しいヒロイン描写”によって大きな話題を呼んだ。
作中で一体どんなふうにヒロインが描かれていたのか、過去のディズニーヒロインたちと比較しながら詳しく紹介していきたい。
物語の舞台として設定されているのは、どんな願いでも叶うという魔法の王国ロサス。国民は一定の年齢になるとマグニフィコ王に自分の願いを差し出し、魔法の力によってそれを叶えてもらう。ただし全員の願いが叶うわけではなく、マグニフィコ王は「ロサスのためになると確信した願い」だけをひそかに選別していた。
ヒロインのアーシャは100才になった祖父の願いを叶えてもらうことを夢見る少女だったが、ある日マグニフィコ王の秘密を知ることに。そこで国民のみんなに願いを返すべきだと訴えるも、マグニフィコ王は一切聞く耳をもたない。しかしそんなアーシャのもとに、“願い星”のスターが舞い降りてくる……。

作中ではアーシャとマグニフィコ王の対立を軸として物語が進んでいくが、そこでテーマとなっているのは「自分の願いと向き合うことの大切さ」だ。
マグニフィコ王に願いを預けた人々は、自分が何を願っているのかを忘れて、いつか魔法の力でそれを実現してもらうことを期待しながら生きていくしかない。つまりそこでは「自分の力で願いを叶える」という自由が奪われている。
しかしマグニフィコ王はそうした生き方の方が、叶わない願いを抱えたまま生きるよりも幸せだと主張する。それに対してアーシャはたとえ実現しないかもしれない願いであっても、誰かの手に委ねるべきではないと考えるのだった。

なお公開当時、SNS上では「アーシャこそ真の悪役なのでは?」という解釈も盛り上がっていた。それはマグニフィコ王が一見ヴィランのように見えないことが原因だろう。少なくともロサスの人々の衣食住に関しては何不自由なく保障していたようなので、彼を“悪”とすることに違和感を抱く人がいたことも理解はできる。
とはいえマグニフィコ王がヴィランである決定的な理由は、“嘘”を吐いていたことにある。どんな願いでも叶うといいつつ、安全な願いと危険な願いを勝手に選別していたことを、ロサスの人々に一切知らせていなかった。さらに人々が知らないうちに、自分の考える理想的な国のあり方を押し付けてもいた。その根底にあるのは人々の幸せを思いやる心ではなく、肥大した自己愛だ。
よく誤解されているものの、ここにあるのは「自由を手に入れて生きる」か「不自由でいいから楽して生きる」かの選択ではない。むしろこの選択肢があることすら知らせず、一方的に自分の“正しさ”を押し付けていたのがマグニフィコ王のやっていたことだ。

それに対してアーシャは、どういう生き方を選ぶべきかを強制してはいない。ただ仲間たちと協力して、ありのままの真実を暴いただけだ。その結果として、ロサスの人々は自分からマグニフィコ王ではなくアーシャに付くことを決断し、「自分の生き方は自分で決める」という自由を選び取った。
マグニフィコ王が暴君として描かれていないのはストーリーとしてやや分かりにくいが、だからこそ人々が自分の意志でアーシャを応援していることが分かるため、クライマックスの展開が感動的に映るのではないだろうか。




















