『竜とそばかすの姫』の結末を“ロマンス”にしなかった理由 母と娘の物語として考察

すずが50億人の前で正体を明かす場面は、本作の最大の見せ場であり、ある意味では、すずが「母の選択を追体験する」シーンでもある。美しいベルの姿を捨て、そばかすのある素顔をさらし、震える声で歌う。恵を救うために、危険を承知で自分のすべてを差し出す。これは、見知らぬ子どものために命を差し出した母と、まったく同じ選択に他ならない。
重要なのは、すずが「理想の自分」に変身することで問題を解決するのではない、という点だ。彼女は不完全なまま、弱さを抱えたまま、それでも誰かを守るために自分を差し出す。そばかすは消えない。声は震えている。それでも彼女は立ち上がる。すずは、母の選択を自分の身体で生き直すことで、初めて母を理解したのである。

こうした結末に対し、おそらく視聴者によっては、伏線はあったとはいえほぼ突然登場した少年たちに対し、「なぜ竜があの少年だったのか」「竜という存在と、ベルは結ばれるべきなのでは」と感じた人もいるかもしれない。そもそも本作が『美女と野獣』を彷彿とさせる構造を持つことを考えれば、ベルと竜が結ばれるという展開を期待するのは自然だ。実際、物語の途中までは、そうした王道のロマンスの予感が漂っている。
しかし、すずと母の関係性を物語の軸として見るとき、あのラストの必然性が見えてくるのではないだろうか。すずにとって恵は、恋愛の対象ではない。彼は「母が命をかけて守った、見知らぬ子ども」の延長線上にいる存在だ。すずが恵を救う行為は、ロマンスの成就ではなく、母との和解であり、母の選択を自分の身体で理解する過程なのだ。だからこそ、物語は恋ではなく、救済で終わる。この転換こそが、本作を『美女と野獣』の焼き直しではなく、母と娘の物語として成立させているのではないか。
すずを語る上で、中村佳穂の歌声の素晴らしさも欠かせない。もちろん劇中歌を歌っているシーンは圧巻だが、声を出せない現実世界のすずが、音程が揺れ、時に声が裏返りそうになりながら歌うシーンこそ特筆すべきだろう。そのかすれた不完全な歌声からでさえ、すずが本当は歌える人間だとわかるのは、並大抵の技術ではない。
そして本作の魅力は、すずを支える豪華声優陣の演技にもある。成田凌演じるしのぶの不器用な優しさに、染谷将太演じるカミシンの飄々とした存在感。玉城ティナのルカちゃんの軽やかさ、幾田りら(YOASOBI)によるヒロちゃんのちょっとズル賢い頼もしさ。さらには佐藤健が演じる恵の怒りと優しさが入り混じった演技や、役所広司が演じる父親の娘との距離を測りかねる不器用な愛情表現も見事だ。あまりに豪華なキャスト陣に、クレジットを見て驚いた人も多いだろう。

すずは最後まで完璧なヒロインにはならない。そばかすは消えないし、内向的な性格が劇的に変わるわけでもない。それでも、見知らぬ誰かのために立ち上がる勇気を持ち、不完全な自分のまま世界と向き合うことを選ぶ。完璧でなくても、弱さを抱えたままでも、人は誰かを救えるし、自分自身とも和解できる——SNS時代を生きる私たちに、すずはそう語りかけているのではないだろうか。
◼️放送情報
『竜とそばかすの姫』
日本テレビ系にて、11月21日(金)21:00〜23:29放送
※放送枠35分拡大、本編ノーカット
声の出演:中村佳穂、成田凌、染谷将太、玉城ティナ、幾田りら、役所広司、佐藤健
監督・脚本・原作:細田守
作画監督:青山浩行
CG作画監督:山下高明
CGキャラクターデザイン:ジン・キム、秋屋蜻一
美術監督:池信孝
CGディレクター:堀部亮、下澤洋平
色彩設計:三笠修
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