『ばけばけ』はかなしくておかしい ふじきみつ彦の手腕が凝縮された「わたしを社長に」
例えば、「あのあの話」と「あの」ばかり使った会話だったり、ヘブンと錦織の「誤解」「5回も!」というようなやりとりだったり。「あの」という共通言語や同音異義語など、言葉の使い方による暗黙の了解とすれ違いを軽妙に描いている。作家にはストーリーテラーという職能もあるが、セリフのセンスの良さという職能もある。ふじきみつ彦は久しぶりに朝ドラに現れた会話の表現に敏感な脚本家だと思う。セリフが面白いと俳優の芝居も面白くなる。とくに、ヘブンが登場してからは、英語と日本語のディスコミュニケーションが極端になって、おもしろさが増している。
また「わたしを社長に」問題は単に言葉のセンスのみならず、社会問題も映している。この場面について、制作統括に取材した記事をヤフーニュースエキスパートで掲載したところ、興味深いヤフコメがいくつか付いた。たいていはドラマの内容や俳優に関する賛否のコメントがつくわけだが、三之丞の態度が、現在の就職あるいは転職活動にも見られることだという指摘コメントがあったのだ。管理職だった人が転職するにあたり、面接や履歴書でアピールできることが管理職経験しかないというひじょうに身につまされるコメントである。筆者だってもはやライター以外できそうにない。これまでやっていた経験が次に生きるものではあるとはいえ、実務ではなく肩書きにすがってしまうことが残念だ。ほかにも高学歴のプライドが邪魔をしてしまうのは武家にこだわるタエと同じである。
決して、100年以上前の、古い武士の話ではなく、令和のいまにも通じる話なのだと感じさせるヤフコメで思い出したのが、冒頭で取り上げた、ヘブンの百姓ではなく士族の娘を女中にしたいという考え方だ。彼もまた肩書きで考えているように思うのだが、どうだろうか。なみの作った弁当が彼女の手製ではなく、誰かに作ってもらったことを見抜いたという意見もSNSではあった。だとしたら、士族であればそういう狡猾さはないに違いないと思っているのだろうか。そこまで凝った話ではないと筆者は思っている。ここは単純に士族か百姓かという比較の問題ではないだろうか。
士族がいいとヘブンは信じているが、タエや三之丞は家事なんて一切できないし、人に使われることはありえないと思っている。本来なら容易に士族を使用人にすることはできないのだ。それをヘブンはわかっていない。かように外国人と日本人には大きな認識のズレがあるし、同じ日本人でも、元士族と明治の新しい時代を疑問なく生きる人たちとにもズレがある。『ばけばけ』が描くズレの会話劇の孕むかなしみもおかしさがじょじょになくてはならないものになってきている。ヘブンの登場でエンジンがかかってきているように感じる。
■放送情報
2025年度後期 NHK連続テレビ小説『ばけばけ』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00〜8:15放送/毎週月曜〜金曜12:45〜13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜8:15〜9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:髙石あかり、トミー・バストウ、吉沢亮、岡部たかし、池脇千鶴、小日向文世、寛一郎、円井わん、さとうほなみ、佐野史郎、北川景子、シャーロット・ケイト・フォックス
作:ふじきみつ彦
音楽:牛尾憲輔
主題歌:ハンバート ハンバート「笑ったり転んだり」
制作統括:橋爪國臣
プロデューサー:田島彰洋、鈴木航、田中陽児、川野秀昭
演出:村橋直樹、泉並敬眞、松岡一史
写真提供=NHK