バンドマンから事務所の代表に転身 笹岡辰行が貫く、時代に即した“音楽のかたち”

フウセンカヅラやotokumoが所属する音楽事務所T-RECKLESS creative forestは、コロナ禍でツイキャス配信を開始して以来、5年間毎日休まず配信を続けるようになったという。
音楽の聴き方がCDから配信へと移り変わる過渡期に誕生した同事務所を率いるのは、自らもバンドマンとしてステージに立っていた笹岡辰行氏だ。ユニークな事務所運営にたどり着いた笹岡氏の変遷について話を聞いた。
バンドマンから事務所の代表への転身

――もともとはバンド活動をされていたそうですが、どのような経緯で現在の事務所を立ち上げることになったのでしょうか?
笹岡辰行(以下、笹岡):出身地の北海道札幌市で10代の頃からバンドをやっていて、一度は20歳前後で諦めたんですが、もう一度チャレンジしようとお金を貯めて2004年頃に上京して、約8年間活動し最後にCDデビューもしました。ただ、僕たちがデビューした2011年頃は、iTunesも定着しており、CDが売れなくなってきた時代だったんです。昔は平均1500枚くらいあったCDの初期発注枚数が、僕らの時は全国で400枚くらいしかなくて、衝撃を受けました。結構頑張ってきたつもりだったのに、この数字か、と。このまま続けても厳しいだろうということで、バンドは解散することになったんです。
――バンド解散後、すぐに事業を始められたのですか?
笹岡:そうですね。解散してから3カ月後にはもう立ち上げていました。8年間もバンドをやってきて、今さら地元に帰ったり就職したりするのも違うなと、どうせならバンド活動で培ったノウハウを事業に繋げようと考えたんです。もともとバンドのリーダーとして、ブッキングから経理、デザインまで全部自分でやっていたので、会社の立ち上げも全然苦じゃなかったですね。借金もせず、届け出を出すくらいの感覚で、身軽に始めました。

――最初に手がけられたのが、楽曲のダウンロードサイトだったそうですね。
笹岡:はい。iTunesなどを介さず、自分たちで仕組みを作ったダウンロードサイトです。当時はまだCDが主流でしたから、旧来の音楽業界からは「裏切り者」みたいに扱われ、いろいろな事務所から目をつけられました。でも、サイトを1年くらい運営しているうちに、「これはもう音楽が聴き放題になるな」「音楽がお金にならなくなるぞ」と確信しました。だから、後に所属アーティストを抱えるようになってからも、「絶対にCDは出さない」と宣言していました。その読み通り、時代はサブスクリプションサービスが主流になっていきました。今の時代、アーティストは音楽だけじゃ食えない時代です。だから、音楽そのものでお金儲けをしようとはあまり思っていなくて。音楽はあくまでも僕らを知ってもらうためのもので、収益のメインは配信やグッズです。海外のタワーレコードが潰れた時点で、CDの時代は終わったと感じていました。
――事務所に所属するアーティストは、ソロに限定されているそうですね。
笹岡:ええ。自分がやってきたバンドという形態は本当に大変だったので、絶対にやめようと決めていました。だから、うちの事務所はソロアーティストだけ。ちょうど後輩から「笹岡さんの元で挑戦したい」という声がかかったのがきっかけで、ダウンロード事業だけじゃなくマネジメントも始めました。バンド時代に培った全国のライブハウスとの繋がりがあったので、ツアーを組むのもスムーズでしたね。店長もみんな後輩みたいな関係だったので、「今度こいつを行かせるからよろしく」と一本電話すれば、お金をかけずにいろいろなことができました。



















