スパイク・リーは黒澤明名作をどうリメイクした? 『天国と地獄 Highest 2 Lowest』の選択

キングは、自身の“能力”によって、誘拐犯の手がかりを見つけていく。スラム街に足を踏み込み、犯人の人間性を目の当たりにするのだ。彼は、キングに憧れ、一方的に仲間意識を持っている人物だった。偉大な存在に勝手にシンパシーをおぼえているという意味では、キングと同類なのかもしれない。そんな誘拐犯のラッパー、ヤング・フェロンを演じているのは、ニューヨーク出身で、父親の逮捕や兄が殺害されるなど、過酷な過去を持つラッパー、エイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)。そんなヤング・フェロンとキングとの対峙シーンでは、本作のテーマが完全に明らかなものとなる。
なんとヤング・フェロンは、逮捕後に大きな注目を集め、一躍有名ラッパーとして、ネット上で名を馳せていたのだ。一夜にして地獄から天国へと駆け上る、アメリカンドリームである。とはいえ、獄中の身であるから、その夢はあくまで壁に仕切られているのだが。そして彼は無神経にも、「どうだ? お前の会社と契約してもいいぜ」、「ファレルみたいにさ、プロデュースしてくれよ」などと、調子に乗ってキングに持ちかけてくる。
ここでヤング・フェロンが「注目こそが通貨さ」と言うように、示唆されているのが、「アテンション・エコノミー」といわれる社会問題だ。日本でも、「迷惑系」と呼ばれる配信者や、差別的な言動を続け注目を集めようとする政治家や候補者などの存在が、社会を揺るがしている。誘拐事件を起こしたことで曲がヒットするという劇中の現象は、内容や本質などよりも、過激な試みで耳目を引くことで成功するという、一種の手段を問わないビジネスであり、社会秩序を破壊する悪質なハック行為だといえる。
そんなヤング・フェロンの姿を見て、キングは契約の申し出を断り、「俺の音楽じゃない」と一蹴する。キングは、自身の尊敬する偉大なアーティストたち、ジェームス・ブラウン(JB)やアレサ・フランクリン、ジミ・ヘンドリックスやスティーヴィー・ワンダーなどと比べて、お前には“魂”はないのだと、現在ならではの反社会的なバズによる成功に「NO」を突きつけるのである。
ただ周知のとおりJBは、度重なる逮捕歴や妻への暴力の疑いがあるアーティストである。これまでスパイク・リーは、『ゲット・オン・ザ・バス』(1996年)などにおいて、JBの曲をアンセムとして使用してきた。とはいえ、その公開後も逮捕されている人物を、犯罪者に対比する誇りある存在として、あえていま挙げている点には、首を傾げざるを得ない部分もある。また、ジャンル自体への偏見を生み出すことを避けるため、ギャングスタ以外のラップ、ヒップホップにも、より光を当てるべきだったとも感じる。
しかし、ここでスパイク・リー監督が、黒人の“魂”という、彼らしい基準を導入しているのは確かなことだ。そして、富裕層や貧困者などの立場の違いにかかわらず、全ての人々が誇りある真摯な生き方を選ぶべきだというメッセージが発せられるのだ。黒澤明監督の『天国と地獄』と比べると、貧富の格差や、立場によって生き方が分かれてしまう理不尽さという要素は薄まってしまったものの、デンゼル・ワシントンに理想の生き方を体現させながら、観客全てに“道”を示したのである。
黒澤明監督の『天国と地獄』は、黒澤監督含め、菊島隆三、久板栄二郎、小国英雄という精鋭で脚本が練り上げられている。それを映像化した作品は、まさに一つの“完璧なケーキ”だといえる。それを下手に改変すると、全体の調和が崩れかねない。デコレーションを差し替えて現代風に作り上げるくらいが関の山だといえる。しかし、本作は果敢にも倫理観という太い軸を通し、貧困者が一気に注目を集めて経済に変換するという問題を混入したことで、別のテーマを発する作品にしたのだ。
だから、本作『天国と地獄 Highest 2 Lowest』は、ラストへと繋ぐ機構が十分な役割を果たせず、やや全体が歪(いびつ)な作品となった印象もある。とはいえ、そこにはスパイク・リー監督のテイストが強く反映しているのは、紛れもない事実だ。そしてそれは、同じ映画監督として、黒澤明の名に膝を屈し、同じような現代版リメイクを大人しく撮るより、はるかに意義深い選択だといえるはずである。
■配信情報
Apple Original Films『天国と地獄 Highest 2 Lowest』
Apple TV+にて配信中
画像提供:Apple

























