『鬼滅の刃 無限城編』が突きつけた“悪”への誘惑 猗窩座の物語に惹かれるのはなぜか?

『鬼滅の刃』猗窩座に惹かれるのはなぜか?

 また猗窩座とフロムの“悪”には共鳴するもうひとつの要素がある。それは悪に傾倒しやすい性向のひとつ、ネクロフィリア=死を愛することである。フロムによればネクロフィリア的な人間は、力を生の破壊、つまり人間を死体に変える能力として捉える。彼らはまた、人間を殺す能力を持つ者と持たない者に二分し、「殺す者を愛し、殺される者を見下す」(p.45)こともする。これらの特徴を見るに、猗窩座はフロムの言うところのネクロフィリア的な存在と一致するといえるだろう。彼は己の“力”——それは本来大切な人を守るために習得されたはずのものだった——を人間の殺害に使い、「殺す者」である鬼であることを誇り「殺される者」である人間を憐れむ。そして“力”を持つ人間=柱を「殺す者」の側へと引き入れようとする。

 悪へと導かれやすい人間のもう一つの性向として、悪性のナルシシズムがある。このナルシシズムは、“したこと”や“生み出したもの”ではなく、そのひとが“持つもの”に対して向けられている。逆に良性のナルシシズムの場合、成果のほうに目が向けられる。彼が誇りに思うのは、鬼としてのみずからの“力”であり、たとえば殺した人間の数などではない。あるいは彼にとってもっとも重要であるはずの「大切な人を守る」という成果に挫折しているからこそ、かれのなかで“成果”という概念は潰えてしまっているのかもしれない。ゆえに“したこと”や“生み出したもの”ではなく“持つもの”に不健康な自己意識を向けつづけた猗窩座は、悪性のナルシシズムを醸成した。かの有名な「お前も鬼にならないか」という台詞は猗窩座のネクロフィリア的な特性と悪性のナルシシズムを明確に示している。

猗窩座がたどり着けなかった未来

 最終的に猗窩座は狛治の記憶を取り戻し、みずからの身体を攻撃することによって絶命するわけだが、この局面において彼の抱える死へと向けられた愛情は父親・慶蔵・恋雪の生きた記憶によって克服され、自分が“したこと”への反省によって悪性のナルシシズムも消滅する。観客の多くが涙したであろうこの切ない場面に、どうしてもわたしはこの最期を迎えない方法はなかったのだろうかと考えてしまった。フロムは、良性のナルシシズムに基づいた集団においては共同作業が必須であると述べる。「特定の集団、階級、宗教ではなく、誰もが人間であることを誇れるような仕事を完成させることをめざすべき」(p.122)なのだ。天災やパンデミックに立ちむかうべくわれわれは手を取り合って戦わなければならない。それは政治的・宗教的イデオロギーが異なっていたとしても、なさなければならない共同作業なのだ。
 
 またフロムはルネサンスのヒューマニズムや各地での革命はあるひとつの共通の思想——「人間は平等である」という思想に基づいていると述べる。狛治の住んでいた村の人々がもしもそのような良性のナルシシズムの集団であれば、つまり貧乏な家庭に生まれついた子どもも満足な生活を送れる社会の構築に協力的であれば、狛治は猗窩座にならずに済んだだろう。あるいは人間の平等、そしてその自由と尊厳を守るべきだという思想が狛治の村を席巻していれば、苦しい彼の生活にも手は差し伸べられたであろう。もしくは病者であるかれの父に対するセーフティーネットが整備されていたかもしれない。フロムとともに猗窩座/狛治の人生を追うと、彼の育った村のナルシシズムが良性に転化していればと想像せずにはいられない。

 このような集団における良性/悪性のナルシシズムはなにもフィクションのなかだけの話ではない。フロムは『悪について』のなかで何度もヒトラーやスターリンの名前を挙げており、しかしその残虐は彼らひとりの手によってなされたのではなく、彼らの下で多くの人命を奪った部下たちがいたという事実を指摘している。人種や性別、国籍による断絶や差別はいまだ根絶されてはいないし、むしろ弱者を切り捨てるような思想が伝播しつつもある。このような現代日本の事象に対して『無限城編 第一章』の主張はちょうどカウンターであるかのようにわたしの目には映った。周囲の大人に助けてもらえず破滅の道を進んだ狛治/猗窩座の人生を映画を通して追体験した観客は、社会的弱者をふくむすべての者を取りこぼさない姿勢の必要性を痛感したはずだ。『無限城編 第一章』の大ヒットがきっかけとなって、社会にひそむ悪性のナルシシズムがひとつでも良性に転化し、すべての人々の生が愛されるべきものとして尊重されることを祈ってやまない。

■公開情報
『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』
全国公開中
キャスト:花江夏樹(竈門炭治郎役)、鬼頭明里(竈門禰󠄀豆子役)、下野紘(我妻善逸役)、松岡禎丞(嘴平伊之助役)、上田麗奈(栗花落カナヲ役)、岡本信彦(不死川玄弥役)、櫻井孝宏(冨岡義勇役)、小西克幸(宇髄天元役)、河西健吾(時透無一郎役)、早見沙織(胡蝶しのぶ役)、花澤香菜(甘露寺蜜璃役)、鈴村健一(伊黒小芭内役)、関智一(不死川実弥役)、杉田智和(悲鳴嶼行冥役)、石田彰(猗窩座役)
原作:吾峠呼世晴(集英社ジャンプ コミックス刊)
監督:外崎春雄
キャラクターデザイン・総作画監督:松島晃
脚本制作:ufotable
サブキャラクターデザイン:佐藤美幸、梶山庸子、菊池美花
プロップデザイン:小山将治
美術監督:矢中勝、樺澤侑里
美術監修:衛藤功二
撮影監督:寺尾優一
3D監督:西脇一樹
色彩設計:大前祐子
編集:神野学
音楽:梶浦由記、椎名豪
主題歌:Aimer「太陽が昇らない世界」(SACRA MUSIC / Sony Music Labels Inc.)・LiSA「残酷な夜に輝け」 (SACRA MUSIC / Sony Music Labels Inc.)
総監督:近藤光
アニメーション制作:ufotable
配給:東宝・アニプレックス
©︎吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
IMAX® is a registered trademark of IMAX Corporation.
公式サイト:https://kimetsu.com/anime/mugenjyohen_movie/
公式X(旧Twitter):@kimetsu_off

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