ハリウッドスターは消えるのか? トム・クルーズ、ティモシー・シャラメなどから考える

 しかし若手俳優たちも、いまは映画だけでキャリアを築いているわけではない。SNSやファッションアイコンとしての発信力、ネットコミュニティとの連携といった要素が、その人気の前提となっているのだ。

 とはいえ、俳優のパブリックイメージが作品を牽引するほどの推進力を持たなくなっている原因の一つには、この俳優たちのSNSの利用という要因もある。一般の人々が自分の生活の様子や考えを、容易に発信することができるようになった現在、ハリウッド俳優ら著名人も、自身のプライベートを明かすことで人気を維持しようとするようになってきた。しかしそれは一方で、ミステリアスで神格化されてきたスターを、親しみの持てるイメージに変容させてもしまったのではないか。

 また、影響力ある立場として、政治的な意見の発信を求められることもある。アメリカでは個人の信条が重んじられ、有名人であることは、同時に公共的な責任を持つ存在だと認識される場合がある。とくに人種問題、性差別や性的指向への差別問題、環境問題や銃規制などのトピックにおいては、黙っていることで批判されることもある。

 かといって不用意な発言をしてしまえば、ある層から批判の的となり、それがキャスティングに影を落とすことにもなる。ティモシー・シャラメも、その意味では問題発言とされる発信をしたことがある。一方でレイチェル・ゼグラーのように、差別に毅然とした態度をとったことで反発を受ける例もあるのだ。そういった発言への批判が正当な意見か、それとも差別主義者や「有害なファンダム」からの理不尽な圧力かはケースによって異なるが、どちらにせよ俳優にとってはリスクを背負い込むことになり、そこでは正しい判断や反射神経などの能力が求められるのも確かなことだ。

ティモシー・シャラメ(写真:REX/アフロ)

 ゴシップ、スキャンダルでの地位の失墜というのは、もちろん昔からあったものの、映画会社の保護やメディアのフィルターが通されない、SNSでの俳優の発信は、それ自体が俳優自身の価値を毀損する場合があるのである。ちなみにトム・クルーズは、長年のあいだ「サイエントロジー」という新興宗教の熱心な信者として知られ、それはしばしばマイナス要素としてスターとしてのイメージを毀損してきた。現在は教団から距離をとっているとの報道もあるが、昔から自身の発言を自由に発信する状況にあれば、いまの地位を維持できていたかは分からない。(※)

 では、映画にとって、われわれ観客にとって、過去の方が良かったのかといえば、そうとばかりは言えないのではないか。映画スターという存在は、直接的な言い方をするならば、長らく映画会社、映画スタジオによって“用意された玉座”のようなものであり、俳優たちは、その座につかせてもらえるかどうかが全てだったといえるだろう。つまり、主体はほとんど企業の側にあり、われわれは、良くも悪くも“造られた象徴”に心をときめかせていたのだ。

 だからこそ、そこにこそ神秘性があったのだ、というのならば、確かにそうなのかもしれない。しかしSNSなどの発達で、より身近になった俳優たちは、われわれがその発言や政治的な意見を目にすることで、人間として俳優を判断することができるようになったということでもある。それはある意味で、“スターの民主化”といえるのかもしれない。

 とはいえ、われわれファンが主体になる部分が出てきたということは、一部の責任も負うということである。反社会的、差別的な考え方を広めようとすれば、建設的、理性的に批判することを求められるし、感情に振り回されて理不尽な理由や差別的な理由で俳優を叩くことはあってはならない。そういう意味で現在は、ファンもまたスターの構成要素であり、またスターを破壊する存在になり得るということである。

 映画が存続する限りは、「映画スター」は必要とされるし、ハリウッドが権勢を誇る以上、「ハリウッドスター」という存在もまた維持されるべきものなのだろう。しかし、その内容は昔と同じものではない、というのが実情なのである。であれば、神秘のベールがはがれたハリウッドスターを、われわれは異なる見方で評価し、人間として応援したり理解することが求められるはずだ。それもまたエキサイティングだととらえることができれば、新たな時代を楽しむことができるはずである。

参照
※ https://front-row.jp/_ct/17649578

関連記事