『魔物(마물)』“DVは甘美な世界”という不都合な真実 日韓共同作品だから描けた“内側”

『魔物(마물)』(テレビ朝日系)は、「DV」が大きなテーマとなっている作品だ。第1話の冒頭から、麻生久美子演じる弁護士・華陣あやめは、女子大生を前にDV被害女性の痛々しい姿を映写しながらレクチャーする。そして、気づかぬうちに深みにはまっている彼女らを「ゆでがえる」と辛辣に表現した。しかし、塩野瑛久演じる源凍也に出会い、あやめ自身がその沼に落ちていき、外側から見ていた世界を内側から知ることに。あやめははからずも、DVの本質を深掘りしていくことになる。
日本のドラマでDVを扱ったものといえば、被害女性を内田有紀が演じた『ナオミとカナコ』(2016年/フジテレビ系)をまず思い出す。服部加奈子(内田有紀)は、エリートの夫・達郎(佐藤隆太)と結婚している専業主婦。達郎は、実はとんでもないモラハラ男で、気に入らないことがあると罰として寒いベランダに一晩中妻を放置するなどDVを繰り返していた。耐え忍び我慢し続ける加奈子に、友人のキャリアウーマン・小田直美(広末涼子)が夫殺害計画を提案し、共謀して夫を殺害、完全犯罪を目指す。という日本版『テルマ&ルイーズ』(1991年)のような作品だった。暴力を振るう夫は完全に悪質な人物として描かれ、被害女性は気の弱い大人しい従順な人物として描かれた。この「強権的な夫に服従させられ、暴力に耐え忍ぶ妻」という構図が、日本ドラマでのDVの典型的な描かれ方だったように思う。
人はなぜ危ない男との泥沼恋愛にハマるのか 不倫やDV描く問題作『魔物(마물)』から考える
人類にとって永遠の議題がある。それは「優しい男とクズ男どっちがいいか問題」だ。なぜか年に2、3度はインターネットで激論になる「デ…ところが、『魔物(마물)』では、加害者と被害者という単純な構図では描かれていない。加害者と被害者はドラマ上で同等に扱われている。また、社会的な立場からいえば、被害女性であるあやめが弁護士、加害者の凍也はフェンシングのコーチと、あやめの方が上位だとも言える。一方的なDVというのとは少し違うようである。

凍也の暴力の理由についてもしっかりと語られている。母親から捨てられ、父からは虐待されてきた悲しい生い立ちや、誰かを頼りにしても常に利用されてきた過去が説明され、彼の人格の歪みにも理解が及ぶ。また、あやめの態度があまりにも不遜なので、殴る動機にもどこか納得感がある。せっかくディナーを用意して待っていたのに、接待で食事をして帰ってきて「なにそれ、何かのお祝い?」などと言われたら、怒るのは当然だろう(もちろん、だから殴っていいことにはならないが)。
そして、映像があまりにも美しく作られている。舞台となるのは、夜景が光るタワーマンションや瀟酒な洋館、ガラス張りのおしゃれなオフィスであり、登場人物たちも皆、見目麗しい。塩野のまさに凍てつくような瞳と白い肌は、危うい魅力に溢れているし、麻生の品の良い端正な容姿とエレガントな装いは、ため息が出るほど完璧だ。DVでできた赤いあざさえ美しく見えてしまうのは、筆者だけだろうか。おぞましいはずの暴力が、ロマンティックにさえ見えてくる。当事者側、つまり内側から見れば、DVは甘美な世界であり、抜け難い沼なのだと、その不都合な真実をみせつけられ、驚愕してしまうのだ。

第5話で、あやめは凍也をめぐる女たち、名田陽子(神野三鈴)、源夏音(北香那)と参鶏湯を囲む。あやめは、「絶対にあちら側にはいかないと思っていたのに」と自嘲しながら、自分が愛と暴力の世界へ入り込んでしまったことを悟る。凍也がつけた傷をまるで愛されている証拠のように見せつけ、「ゆでがえる」と軽蔑していた女たちと同等になってしまっていた。






















