『名探偵コナン 隻眼の残像』で噛み締める大人のドラマ 諸伏高明の“残像”が切ない理由

諸伏高明の“残像”の意味

 高明もまた、物語においては“残された者”だ。しかし、彼の場合、失った人の“残像”が、あまりにも多い。映画のハイライトにもなっている、高明が湖に落ちて水中で気を失うシーン。そんな彼を引っ張り上げたのは、死んだはずの弟・景光だった。

「人生は死あり、修短は命なり」

 これは本作で自分の死を覚悟した高明が心の中でつぶやいたセリフであると同時に、本編で弟の死を確信した時にも放った言葉なのだ。これは中国の軍師・周瑜の言葉であり、「命なり」の先に以下のような続きがある。

「人生死あり、修短は命なり、曇明に存することを得ず。古人の言に曰く、以て明徳を立て、以て功業を行う、以て言を立つれば、名は遐代に伝わり、死しても朽ちず」

 これはつまり、「人生には必ず死があり、寿命の長さは運命によって決まるもので、曇天や晴天のようにどうにもならない。古人の言葉によれば、徳を磨き、功績をあげ、価値のある言葉を残せば、その名は遠い後世まで語り継がれ、死後も朽ちないのだ」という意味だ。

 景光は降谷零と幼なじみであり、同期として警察学校を卒業後に公安に所属し、“スコッチ”の名で黒の組織に潜入していた。しかし、自身がNOC(潜入工作員)であることがバレたと焦り、自分の大切な人の情報が入ったスマートフォンごと、胸元を撃ち抜いて自死してしまう。高明は弟が公安であること、何らかの組織に潜入していた際に殉職したことを察しているが、詳しいことは知らない。しかし、それでも弟が何かの大義のために命を落としたこと、その行いが遺した功績を讃えたのだ。

 高明は中学生の時に両親が惨殺され、警察になった後も初恋の人を失くしている。しかも、両親においては彼自身が遺体の第一発見者なのだ。本来なら、もっと闇に堕ちても仕方ないキャラクターなのである。しかし、先の言葉のように、彼は失ったものに目を向けるよりも常に未来を見つめている。だからこそ、大和が雪崩事故に遭った時、上原が彼女なりの報い方をしたように、彼は彼なりの報いを、そして時間を過ごした。大切な人を失い続けてきた高明の目が、病室に横たわった大和の姿を捉えた時の気持ちを考えると計り知れない。

 しかし、やはり残酷なのが、今作で描かれた、亡くなった弟との再会が、全て高明の想像の産物でしかないことなのだ。死を覚悟した彼が最期に会いたかった人であり、向こう側で自分を迎えにきてくれると信じていた相手。それでも、組織の中の誰かが策を練ってくれたおかげで実は生きていた、なんてことはないだろうか。そんな高明の淡い期待が“残像”に垣間見えるのが辛い。それは我々観客の期待とも重なるのだが、一方でメタ的な視点ではあるものの、赤井秀一のような死の偽装が作品の中でそう何度も行われるわけがないと、私たちは気づいてしまう。そして何より、それが現実ではないと高明自身が否定することになってしまったのが切ないのだ。

 小説版では、彼がずっと水中で拳銃を握りしめていたことが明かされている。その拳銃の感触が彼を現実に呼び戻し、唯一の肉親である弟との二度目の別れの合図となった。「やはり死んでいる」という事実を再び突きつける意味で残酷なシークエンスだが、あれが彼にとっての“残像”との再会と別れだとしても、これまで大切な人と最期の会話もできてこなかった高明にとって、少しでも話せて良かったと思うのだろうか。

 余談ではあるが、長野組にとって重要な本編のエピソード「死亡の館、赤い壁」でも“残像”が連続殺人の謎を解く鍵になっていたことは、本作を思い返すと感慨深いものがある。

佐藤美和子と高木渉が共有する“残像”

 そして触れなければいけないのが、警視庁から来た“アベック”の佐藤美和子と高木渉。彼らも本作で大いに活躍するのだが、最も印象的かつ重要なのは、林を捕まえた際に彼らが警察職員の職務倫理を唱えるシーンである。これは佐藤が言わなければいけないものだった。

 なぜなら、遡ること本編エピソード「揺れる警視庁1200万人の人質」で降谷零の同期でもあった松田陣平を失った佐藤が、彼を殺した爆弾犯に拳銃を向けて追い詰めたことがあったからだ。彼女もまた“残された者”であり、その報いの原動力が小五郎のような「犯人逮捕」ではなく、林のような「復讐」になってしまっていたのである。そんな彼女の頬を叩き、目を覚まさせたのが高木だった。つまり、誰も見たことのない彼女のそんな一面が高木にとっての“残像”でもあるのだ。

「怒りや憎しみにとらわれず、いかなる場合も人権を尊重して、公正に職務を執行する」

 この言葉を、かつて怒りや憎しみにとらわれ、道を外しかけた佐藤が言うことに意味があり、そんな彼女を誇らしく思いながら高木が共に暗唱するのが素晴らしい。同じように“残された者”として、勇気を出せた者と出せなかった者の対比が、佐藤と林で行われているのが巧みな演出だった。

なぜ『名探偵コナン 隻眼の残像』の降谷零は“怖い”のか

 最後に、本作における異質な存在についても触れておこう。監督の重原克也は公式インタビューにて、本作では意図的に映像の中でフラッシュバックを使用していると語っていた。しかし、本来ならフラッシュバックもとい“残像”が山ほどある男・降谷零においては、演出としてそれが一切ないことが、彼の怖さをより際立たせているのだ。アフタークレジットシーンで風見から景光の名を聞いて立ち止まるも(風見でさえ、高明が名前を口にするフラッシュバックがあるのに)、降谷の表情は意図的にカメラの画角外で見えないようになっている。普通、ここで彼なりに景光のことを思い出すフラッシュバックが使われてもいいはずなのに、あえてリアクションを一切せず画面から忽然と消え去ってしまう降谷。

 彼こそ『名探偵コナン』の物語において、おそらく最も大切な人を失ってきた“残された者”であるはずなのに、本作で他のキャラクターが見せたような“感情”を出さない。エモーショナルな作品において、唯一それを見せない男。林への容赦ない取引の様子も相まって、そんな降谷零の底知れなさが作品の余韻として残るのだった。

■公開情報
劇場版『名探偵コナン 隻眼の残像(せきがんのフラッシュバック)』
全国東宝系にて上映中
キャスト:高山みなみ(江戸川コナン)、山崎和佳奈(毛利蘭)、小山力也(毛利小五郎)、林原めぐみ(灰原哀)、高田裕司(大和敢助)、速水奨(諸伏高明)、小清水亜美(上原由衣)、岸野幸正(黒田兵衛)、草尾毅(安室透)、飛田展男(風見裕也)、鮫谷浩二(平田広明)
原作:青山剛昌『名探偵コナン』(小学館『週刊少年サンデー』連載中)
監督:重原克也
脚本:櫻井武晴
音楽:菅野祐悟
アニメーション制作:トムス・エンタテインメント
製作:小学館/読売テレビ/日本テレビ/ShoPro/東宝/トムス・エンタテインメント
配給:東宝
©2025 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会
公式サイト:https://www.conan-movie.jp

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