『べらぼう』“ラブコメ大河”としての新天地 蔦重と瀬川の“再会”はあり得るのか
蔦重から花の井へ——“恋文”としての出版業
このように、一見すれば第14回の終わりは「幼なじみ」たちが直面するいつも通りの悲しき離別であるように思われる。花の井が去っていく際、彼女はこれまで心の拠り所としていた蔦重に貰った赤本『塩売文太物語』を置いてゆく。それは蔦重との関係を完全に断ち切ってしまうことに他ならない。思えばこの二人が巡り合ったのもまた、「恨み」によるものだと言える(少なくとも蔦重は、幼少期に両親に捨てられたことで吉原へやってきた)。だから赤本を置いてゆくことは、「恨み」で巡る因果から抜け出すための行動でもある。
けれど筆者は、それが悲しい別れなどでは決してなく、明るい未来へと開かれた選択なのだ、と考えてみたい。今ここで別れを選択することは、永遠に二人が分かたれることを意味しない。「恩」によって巡る因果はむしろ、蔦重と花の井が出会いなおす可能性に向かってはいないだろうか。
例えば、その後蔦重が市井へと進出し、江戸に名を轟かすような“メディア王”になったとしよう(無粋なことを言えば、史実的な側面を考えれば彼はいずれそうなる)。このとき彼の本が売れれば売れるほど、彼の名は広がってゆく。そうすれば花ノ井が再び蔦重の名を目にする可能性は増えるかもしれず、さらに言えば吉原の再興が達成されたのちには、二人を阻むものはどこにもない。けれどこれらのことは、「恩」によって因果が巡らなければ達成が難しい。それはとりもなおさず、「恩」によって因果が巡れば巡るほど、二人が再び、次は「恩」によって出会うことができるということを意味してはいないだろうか。
その意味で蔦重にとって「本」というメディアは、花の井への「恋文」そのものでもあるのだ。「メディア」とは、もとの意味を辿れば何かを媒介するものだ。何かを伝達することを通して、誰かと誰かを繋げること。一般的にそれが不特定多数に対して開かれているものだからこそ、その中に特定の誰か、居場所すらわからなくなっても届けたい相手、に送るメッセージを含めることができる。
もちろん、本作がそのような展開を辿るかはわからない。蔦重と花の井は、今後二度と出会わないのかもしれない。けれど筆者は、このような『べらぼう』における出版事業のもう一つの意味があることを、「恩」の因果が巡って蔦重と花の井が再会することを、願いたくなる。それを願ってしまうのは、あるいは「幼なじみヒロイン」を愛する筆者の性なのだろうか。
■放送情報
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送/翌週土曜13:05〜再放送
NHK BSにて、毎週日曜18:00〜放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15〜放送/毎週日曜18:00〜再放送
出演:横浜流星、小芝風花、渡辺謙、染谷将太、宮沢氷魚、片岡愛之助
語り:綾瀬はるか
脚本:森下佳子
音楽:ジョン・グラム
制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典
演出:大原拓、深川貴志
写真提供=NHK