『ANORA アノーラ』画面構成の意図を紐解く ショーン・ベイカー初期作『Take Out』と比較

 しかし、ベイカーは『タンジェリン』において全編をiPhoneで撮影したように、明らかにこだわりを持って映像を作っている。では『Take Out』との差異からわかる『ANORA アノーラ』における空間ごと切り取った映像の狙いとは?

 ポイントは『Take Out』と『ANORA アノーラ』には撮り方の「共通点もあった」ということだ。『ANORA アノーラ』でも『Take Out』のように役者の顔を接写している場面がある。接写はアノーラがイヴァンの母親を前に「弁護士を雇う」と宣言するシーンやアノーラが車の中で車窓を眺めるシーンで用いられる。それらの映像はアノーラの心情を伝えるための映像といっていいほどで、涙こそ流さないがしっかりとアノーラ役のマイキー・マディソンは情感のある芝居をし効果的に作用している。

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 つまり『ANORA アノーラ』においても『Take Out』と同じような役者のアップによる映像でのキャラクターの心情構成がされているのだ。

 すると、先に述べた引きの画(役者のアップだけではない空間も映した画)の狙いとはキャラクターの情緒を伝えるためではない。たとえば引きの画の状況で気になる点をいくつか挙げてみよう。トロスが家に来る場面では、抵抗するアノーラがイゴールに縛られていた。イヴァンを連れ戻す際にはイヴァンはアノーラが敵視する女ダンサーと性的遊戯にふけっており、最後のイゴールとアノーラの会話ではラフな格好をしたアノーラがイゴールに向かって「あなたはレイピストだ」と告げる。

 興味深いのはどの場面でも「男女」の「性」描写が含まれている点だ。この性別という概念は個人の情緒の範疇ではない。

 本作でベイカーは、引きの画で「性」における衝突や差異を描いている。ベイカーはストリップダンサーという社会の片隅に存在する職業と性が切り離せないことを画面越しに伝えようとしていたのだ。それは『Take Out』におけるアップの画と同じく意義を持った撮り方で作品のテーマを伝える大切な役割を担っていた。

 ここまでを念頭に最後のイゴールとアノーラが車中で性行為をする場面を考えよう。ここでも俳優の接写だけでなく、アノーラにまたがられるイゴールが映るときには車の窓が画面に入りこんでいた。「男女」の性行為という本作の中心要素が、「車中」という扉越しに外界と隔てられた世界で行われていることを強調している。まるでベイカーの映画づくりの「背骨」ともいえる「社会とその周縁」という主題を表現しているようだ。ベイカーが『ANORA アノーラ』で地道に積み上げてきた「男女」の「性」という問題が、どこにでも横たわっているものだということを明確に伝える。そんな意義のあるシーンだと私は考える。このようなベイカーの映画イズムを考えながら本作を鑑賞してみると、また新たな発見があるかもしれない。

■公開情報
『ANORA アノーラ』
全国公開中
出演:マイキー・マディソン、マーク・エイデルシュテイン、ユーリー・ボリソフ、カレン・カラグリアン、ヴァチェ・トヴマシアン
監督・脚本・編集:ショーン・ベイカー
製作:ショーン・ベイカー、アレックス・ココ、サマンサ・クァン
配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画
2024年/アメリカ/カラー/シネスコ/5.1ch/138分/英語・ロシア語
©2024 Focus Features LLC. All Rights Reserved. ©Universal Pictures
公式サイト:anora.jp
公式X(旧Twitter):@anora_jp

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