『ウィキッド ふたりの魔女』が映す複雑さ

『ウィキッド ふたりの魔女』が描く“動揺”と“葛藤” 作品が長年愛されてきた理由を考える

エルファバとグリンダの別れの意味

 そしてダンスクラブのシーン以降、魔法の力や、実績、フィエロ(ジョナサン・ベイリー)の心など、エルファバが持っていてグリンダが持っていないものが強調されて描かれるようになる。エルファバは「I’m Not That Girl」を歌うが、観客はフィエロの恋心がグリンダからエルファバに寄せられていることに気づいている。そして理由もわからず冷たくされるグリンダが、少しかわいそうに思えてくるのだ。

 加えてこの時点にきて、グリンダが最初から人に対して失礼なことを言うが、それは大概の場合が相手を貶めるためでなく、あくまで「私が一番」というナルシシズムに基づくものであって、本来なら攻撃的な人格ではないことが見えてくる。自分の都合の良いように人の恋路を操る行為も、はたから見たら邪悪な行いそのものだが、本人はその結果を深く考えていないだけのようにも感じる。良くも悪くも、考えが足りないのだ。先の章で触れたグリンダのエルファバに対するいじめが自覚的だったことに対し(明らかに嫌いと認識していたから)、エルファバと友達になったあとに歌った「Popular」で「Just not quite as popular as me!(私ほどの人気者にはなれないけど!)」と言って結局エルファバを見下しているように感じる言動も、本人は「私が一番」と言っているに過ぎず、無自覚的なのだ。

 そして物語が進むにつれ、先に述べた「エルファバが持っていてグリンダが持っていないもの」の最たる例がクライマックスのシーンで明かされる。それは“勇気”であり、“自由”だ。オズの魔法使いの秘密やマダム・モリブルの陰謀が明らかになっても、大きな権力に対して彼女は逆らうことができない。それどころか、親友に身の危険が迫っていてもまだ自分が説得することでオズの魔法使いから得られる褒美(城で暮らすこと)が頭をよぎってしまう。その人間的な弱さと対比して歌われるのが、「Defying Gravity」である。

 グリンダは魔法使いに従うことを“自制心”と言い、それを持たないエルファバは大義を犠牲にするため賢くないと訴える。この主張も一理ある。劇中“おバカ”として描かれてきた彼女だが、「Popular」の歌詞にもあるように人気でいることの賢さなどを十分に理解しているグリンダの方が世渡り上手なのは確かなのだ。しかし、そんな彼女に対してエルファバは「自分の野望を満たすために従順にひれ伏していて満足?」とカウンターパンチを繰り出す。このどちらの言い分も理解できるところが、憎い。大人であればあるほど、このシーンに難しさを感じるものだ。

 お互いに「満足ならいいけど」と皮肉めいて言い合うも、グリンダはエルファバがようやく望んでいたものが手に入る状況だからこそ、どうにかしたかった。しかし、エルファバは「それを望んではいけない」と言って、ダンスクラブで踊ったあの時のように、集団からの決別を覚悟し、孤になる道を選ぶ。それはグリンダが選べない道だ。「Defying Gravity」の歌詞に「If I’m flying solo at least I’m flying free(もし一人で飛ぶことになっても私は少なくとも自由に飛んでいる)」とあるように、孤は“自由”なのだ。そして自由に重力に逆らって空を飛ぶエルファバと対比して、衛兵に捕まるグリンダが映される。世間体や人気に縛られた彼女は不自由で、エルファバと一緒に行くこともできなかった。

 ダンスクラブのシークエンスを映画のミッドポイントとすると、前半にはかわいそうなエルファバが、後半にはかわいそうなグリンダが強調されて描かれているのが興味深い。そしてクライマックスの「Defying Gravity」で2人の生き方のどちらも簡単に否定できないのは、物事が常に黒白ハッキリできるものではないと、それまでの物語を通して実感できているからではないだろうか。どちらの方が正しいとか、そんなことより異なる考えや価値観を持っていても、友の幸せを本心から願い合う彼女たちの姿に胸打たれ、私たちも2人の幸せを心から願うのだ。いろんな感情や言動、物事は複雑で本を表紙で決めつけてはいけないように、一言で片付けられないものがあまりにも多いことを本作は教えてくれる。それがあまりにもリアルで、そこに共感できるからこそ長年この作品は多くの人に愛されてきたのではないだろうか。

 「人は生まれして邪悪さを持っているのか」という問いから始まる本作は、それをエルファバの物語を以てして否定すると同時に「人は生まれして善人でもない」ことをグリンダの物語を通して描こうとする。忘れてはいけないのが、「Defying Gravity」は“デュエットソング”であること。途中で「Just you and I defying gravity(あなたと私で重力に逆らうの)」と歌うように、2人がそれぞれのやり方で抗っていくのだ。それを描く後編『Wicked : For Good(原題)』は2025年11月21日に全米公開が予定されている。ブロードウェイ通りに話が進むのか見当もつかないが、それなら物語はもっと大変なことになっていく。しかし、後半はグリンダが“善き魔女”になる過程をさらに注目して観ていきたい。

■公開情報
『ウィキッド ふたりの魔女』
全国公開中
出演:シンシア・エリヴォ、アリアナ・グランデ、ジョナサン・ベイリー、イーサン・スレイター、ボーウェン・ヤン、ピーター・ディンクレイジ、ミシェル・ヨー、ジェフ・ゴールドブラム
日本語吹替版キャスト:高畑充希、清水美依紗、海宝直人、田村芽実、入野自由、kemio、ゆりやんレトリィバァ、塩田朋子、大塚芳忠、山寺宏一、武内駿輔ほか
日本語吹替版スタッフ:三間雅文(台詞演出)、蔦谷好位置(音楽プロデューサー)、高城奈月子(歌唱指導)、吉田華奈(歌唱指導)
監督:ジョン・M・チュウ
製作:マーク・プラット、デヴィッド・ストーン
脚本:ウィニー・ホルツマン
原作:ミュージカル劇『ウィキッド』/作詞・作曲:スティーヴン・シュワルツ、脚本:ウィニー・ホルツマン
配給:東宝東和
©Universal Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:https://wicked-movie.jp/

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