『SAKAMOTO DAYS』から『レオン』まで “殺し屋”ד家族・子供”はなぜ人気なのか?

 放送中のアニメ『SAKAMOTO DAYS』(テレビ東京系)が話題だ。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載中の原作はもとより、アクションシーンの迫力、カメラワークを意識した映像的な作品として高く評価されている。しかし、その魅力はもちろんそれだけではない。日常に混在する非日常的なスリルを独創的に描く本作にとって、坂本家を軸として描かれる家族愛も重要な要素の一つなのだ。

 「殺し屋」をテーマにした作品の人気が高いことは今に始まったことではない。そしてそこに“家族”や“子供”の存在があることも珍しくないのだ。同じ集英社の作品であるアニメ『SPY×FAMILY』や、『少年ジャンプ+』連載争奪ランキング1位を獲得した漫画『幼稚園WARS』もそうである。クランチロール2024の最優秀オリジナルアニメ賞を受賞した『Buddy Daddies』も例に漏れない。いわば永遠のトレンドとも言える「殺し屋」×「家族・子供」の組み合わせが、なぜ人気なのか。その先にある本テーマが持つ魅力について考えたい。

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「殺し屋」作品に必要なエッセンス

 そもそもの大前提として、殺し屋は孤独な存在だ。そして孤独であるが故に、失うものがない、それ故に最強という方程式が完成されている。しかし、その式が崩されることで主人公のキャラクター性にドラマや葛藤、社会性や感情が生まれ、観る者が共感しやすくなるのだ。

 「殺し屋」が主人公の作品は、実は難しいと思う。殺しの動機だって「依頼されたから」で片付いてしまう、仕事以外は何をするでもない、何を考えているかもわからない。そんな孤独で無口なキャラクターが主人公という時点で、観客の入り込む隙がなくなってしまうことがある。だから、家族や子供といった“守るべきもの”を登場させることで、「孤独=最強」の方程式を壊す必要があるのだ。最強でなくなることで、キャラクターに奥行きを与え、観る者が応援したくなる。つまり、愛着が持ちやすくなるような大事な要素になり得る。

 例えば映画『レオン』も、孤独だった男がある日少女マチルダを助け、彼女の面倒を見ることになる作品だ。彼が孤独でなくなると同時に、守るべきものが生まれる。マチルダとの生活を通して、観葉植物以外の話し相手を得るレオン。誰と話すこともなく、淡々と殺しの仕事をこなしてきた主人公に隙が生まれ、私たちは彼の感情に触れることができる。そこでレオンを窺い知るからこそ、彼が命懸けで少女を守る姿に心揺さぶられるのではないだろうか。そして何より、レオンとマチルダが過ごした“日常”の時間が、物語の悲壮感と感動をより際立たせている。

 「殺し屋」系映画において重要なのはアクションなどの非日常シーンに見えて、案外キャラクターの感情や人間性、物語の世界観が見えてくる“日常”であり、それを『SAKAMOTO DAYS』も描いているのだ。アニメ第3話にあたるシュガーパークのエピソードは、まさに「日常と非日常の混在」という本作のテーマを捉えている。妻と娘が遊園地を楽しむ一方で彼女たちに悟られないよう、向かってくる殺し屋を倒していく坂本。彼の命を狙う殺し屋の1人である昔馴染みのボイルには、引退のブランクで弱くなったことを指摘され、坂本がまさに守るものができたことによって“最強”ではなくなったことが強調されている。それでも強い坂本はボイルに以下のように言い返すのだ。

「俺も昔は人を傷つけるために力を使っていた。だが今は大切な人を守るために使うと決めたんだ。それが今の俺の強さだ」

 この、“強さの理由”が「殺し屋」作品と「家族・子供」といった要素の組み合わせの親和性、および人気の高さに直結していく。

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