追悼デヴィッド・リンチ 『ブルーベルベット』『ツイン・ピークス』などでの功績を振り返る
映画史上の最も偉大な「アーティスト」デヴィッド・リンチ監督が、現地の日付で1月16日に亡くなった。
ハリウッドセレブも数多く住んでいる、ロサンゼルスの高台「ハリウッド・ヒルズ」……そこを通る、デヴィッド・リンチ氏いわく「ハリウッドの歴史を感じる道路」であるマルホランド・ドライブのすぐ下に、映画『ロスト・ハイウェイ』(1997年)にも登場した、彼の邸宅がある。折りしもカリフォルニアの大規模な山火事が都市部へと迫るなか、リンチ氏も避難を余儀なくされ、かねてより患っていた肺気腫の病状が悪化して亡くなったと伝えられている。
デヴィッド・リンチ監督は、“部屋に居る人物のもとへ悲しい報がやってくる瞬間”というモチーフにこだわり、映像作品のなかで、繰り返しそれを美的に描いている。この絵画的構図は、人生というものが避け難い事実や、きたるべき運命を受容せねばならないものだという真実を悲痛に提示するものだった。われわれもまた、リンチ作品の登場人物のような気持ちを、この訃報によって味わうこととなったのだ。
しかし、親族は公式Facebookにて、このようなメッセージを発信している。「彼がいなくなったことで、世界には大きな穴が空いてしまいました。しかし、彼がいつも言っていたように、『ドーナツの穴ではなく、ドーナツそのものに目を向けてください』」と。その言葉に敬意を表して、この追悼記事では、彼が亡くなった喪失としての穴ではなく、生前に作り上げたドーナツの方に目を向け、デヴィッド・リンチ監督の功績を紹介していきたい。
デヴィッド・リンチ氏は、初めての長編映画作品『イレイザーヘッド』(1976年)を手掛け、カルト的名声を得る前に、すでに絵画を中心としたアーティストとして活動していた。初期の絵画では、例えば腐った動物や虫の死骸を貼り付け、蟻の列が絵画に到達したという逸話が残っている。こういった試みは後に無くなっていったが、絵画を立体的に表現するコラージュ技法は、映画監督となった後も、さまざまな絵画作品において継続されていた。さらに版画や家具の制作など、活躍する分野は多岐にわたっていた。
20代のはじめに撮った最初の短編映像作品『6・メン・ゲッティング・シック』もまた、自作の絵画作品にまつわるもの。絵に描かれた病んだ男たちがグロテスクに動き、血のようなものを吐いていくという内容だった。人々が眉をひそませるような表現や、不安感などを好んでテーマに選ぶ部分を持つアーティストとしての素地が、すでに出来上がっていたのだ。
映画協会の賞を受賞することになる『アルファベット』(1968年)は、部屋の内壁を黒いペンキで塗りたくり、ストップモーションを駆使した、異様だが目が離せない作品をつくりあげる。これは、近年日本でも評判になった、チリのアニメーション映画『オオカミの家』(2018年)の先駆けといえる、先鋭的な表現だ。『アルファベット』のアイデアは、リンチの妻で作品への出演も果たした画家のペギー・リンチが悪夢を見て、寝言でアルファベットを暗唱していた経験が基になっていたのだという。
フィラデルフィアの片隅にある工場近くの劣悪な環境で美術の制作をしていたリンチ氏は、そこで味わったインダストリアルな雰囲気やノイズをも、映像作品に加えていく。カルト映画として名高い『イレイザーヘッド』は、ドラマシリーズ『ツイン・ピークス』にも出演しているジャック・ナンスを主演にしたモノクロ作品で、リンチ氏自身が子どもを持つことへの不安が投影されているという。劇中で登場する奇妙な胎児は、本当に生きているように見えるのだが、その正体は末代までの謎だとされているという。
そのほとばしるような感性と、真にクリエイティブな表現力は、アメリカの映画監督のなかでも規格外。広く評価され始めたリンチ監督は、『エレファント・マン』(1980年)や『デューン/砂の惑星』(1984年)という、一部の先鋭的なファンのみが熱狂するカルト映画の世界を飛び出し、より広い観客のための作品も手がけはじめる。結局断ることとなったが、ジョージ・ルーカスから直々に『スター・ウォーズ』旧3部作の3作目を監督することを依頼されたのも、この頃だった。
『ブルーベルベット』(1986年)では、新たな表現手法に挑む。様式はインダストリアルから、画家エドワード・ホッパーの作風をベースとしたレトロモダンへ。そして、ドイツ表現主義とフィルムノワールが組み合わされた、ダークなアメリカ映画群へのオマージュが投影された作風へ。『オズの魔法使』(1939年)をハードな犯罪映画に換骨奪胎した『ワイルド・アット・ハート』(1990年)は、カンヌ映画祭で最高賞を受賞する。そして世界的ブームを生み出したドラマシリーズ『ツイン・ピークス』が生まれることとなる。
カナダとの国境沿いの町を舞台にした犯罪捜査劇である『ツイン・ピークス』で話題となったのは、謎めいた内容と脳髄を刺激する異様な表現だった。なかでも、「赤い部屋」と呼ばれる、リンチのもともとの作風のなかにあるシュールレアリスム表現、逆再生などの技術が活かされた超現実的シーンは、多くの視聴者を魅了することとなった。
ドラマシリーズ『ツイン・ピークス』(1、2シーズン)は、このような素晴らしい内容が含まれながら、凡庸に感じられるエピソードも少なくない。これは、リンチ監督自身が多くのエピソードを担当できなかったこと、そして室内のスタジオ撮影が主になっていったからだといえる。
だが、リンチ監督自身が演出を務めたエピソードや、とくに日本でリリースされた「パイロット版」、そして衝撃的な最終エピソードは、リンチ監督の才能が十二分に発揮された“原液”を味わえる内容なので、時間がなければこれだけでもチェックしてみてほしい。また、劇中の被害者ローラ・パーマー(シェリル・リー)事件の顛末をミステリアスに描いた『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』(1992年)は、悲劇を宗教画のように荘厳に表現した傑作だといえる。