細田守がファンタジーに再挑戦!? 『果てしなきスカーレット』は“家族”から脱却するのか
何しろ描かれているのは、中世を思わせる世界が舞台となった歴史作品なりファンタジー作品に登場する少女だけ。甲冑をまとい、剣を下げた姿は、リュック・ベッソン監督の映画『ジャンヌ・ダルク』(1999年)でミラ・ジョヴォヴィッチが演じたジャンヌ・ダルクを思い起こさせる。ジャンヌ同様に何か使命を負ったその少女がスカーレットで、誰かに導かれるように時空を超えて旅をするのか? 行く先々で誰かと出会い戦っていく中で何かを成し遂げるのか? タイトルから浮かぶのはそういった展開だ。
もしかしたらそこは現実ではなく、『ウィザードリィ』なり『ファイナルファンタジー』なりといったゲームの世界で、川原礫の小説が原作の『ソードアート・オンライン』のように現代の少年少女が引き込まれ、そこで冒険を繰り広げているだけなのかもしれない。サーバーの容量さえあれば無辺の世界を構築できるネットの中なら、時空の超越だって自由自在だ。ファンタジーめいたビジュアルすらフェイクで、宇宙から西部劇のような世界からそれこそ日本の時代劇まで、多様な時代を行き来するヒロインが描かれるのかもしれない。今敏監督の『千年女優』(2002年)のように。
もっとも、そうした過去に数多ある事例を細田監督が今さら持ち出すとも思えない。『果てしなきスカーレット』というタイトルに用いられた「果てしなき」という言葉が、SF作家の小松左京による不朽の名作『果てしなき流れの果てに』にも使われていることに触れている以上、借り物の設定の中でちょこまかと動かすような安易さは絶対に避けるだろう。かつて富野由悠季監督がアニメ化しようとして果たせなかった『果てしなき流れの果てに』のスケールであり哲学に、恥じない作品にしなければならないと自覚しているはずだ。
こうなってくるともはや予想は不可能だ。舞台もキャラクターも展開も、すべてがフレッシュなものとして目に飛び込んでくるものとなるかもしれない。ただ、それでも営々と貫いてきた社会との関わり、人間という存在への関心は決して失ってはいないだろう。会見の場で出たという、「世界中の人々に共通する問題や感情に寄り添うような作品になる」といった言葉からは、今のこのいろいろとありすぎる社会に生きている人なら誰もが心に引っかかる題材を描き、進む道を示してくれるものになるといった希望が浮かぶ。
細田監督と言えば、かつて『ハウルの動く城』の劇場アニメに挑みながら頓挫し、宮﨑駿監督に譲ったことがある。『果てしなきスカーレット』がヨーロッパ風のファンタジーとするなら、四半世紀を経ての再挑戦といったことにもなるが、そうした“因縁”すら超克し、繊細なキャラクター描写とダイナミックな映像と、そして起伏に富んだストーリーという細田作品ならではの持ち味を存分に注ぎ込み、今の世界を感嘆させ感動させる映画を作り上げてくれるだろう。公開が待たれる。
参照
※ https://www.oricon.co.jp/news/2360141/full/
■公開情報
『果てしなきスカーレット』
2025年冬公開
監督・脚本・原作:細田守
配給:東宝、ソニー・ピクチャーズ
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