『あのコはだぁれ?』はなぜ怖いのか? 『呪怨』シリーズに通じる恐怖演出の数々に迫る
本作において、そんな才能が最も発揮されているのは、ゲームセンターのクレーンゲームのケースの中に死体の姿が現れるという趣向だ。そのアイデアだけを聞けば、そんな表現が怖いシーンとして成立するか疑問に思う人が少なくないだろう。もちろん、ライティングや美術などの技術もあるだろうが、そんなコントかと思えるようなアイデアで、しっかりと不気味な表現を成立させているというのは、驚きである。
本作独自のさらなる見どころとしては、前作で描かれた高谷さなの家族が、より深掘りされ、意外な人物がおそろしく描写される点だ。本シリーズの恐怖の源泉である高谷一家は、新たなアイデアとともに広がりを見せている。とくに、前作の恐怖表現における、演技の側からの最大の功労者と考えられる、高谷さなの母親役の山川真里果は、より大きな役割を与えられ、今回も絶好調だ。
前作で尋常でなく怖かったのは、そんな山川真里果が登場する、時間のループ演出だった。限定された空間のなかで、突如として何度も何度も同じ会話が繰り返されたり、同じ所作が再演され続ける……それはまるで、時の牢獄に閉じ込められているかのようである。登場人物や観客は、最初は違和感をおぼえるだけだが、状況が繰り返される度に、その異常性を認識し、恐怖感がどんどん肥大していくのである。
しかもそのループは、完全に同じことが繰り返されるわけではなく、少しずつ変化している部分もあることに気づくはずだ。はっきりとは分からないが、そこには何かルールのような規則性があるようにも感じられる。しかし、それが何なのか具体的には理解することはできない。これもまた、幽霊や生き霊、怨念のような存在には、人間社会とは異なる秩序があり、奇妙だと思われることを繰り返しているのではないかという気づきをうながす。そしてそれは、人間である限り逃れられない“死”が、現時点で理解できないものであるという、根源的恐怖へと繋がっているのではないか。
『呪怨』シリーズ同様に、また、『牛首村』(2022年)で心霊スポットとなっている実在の施設から、何度も何度も同じ人間が飛び降りるというイメージがそうであるように、人間の感情や執念のようなものが、悲劇を再演し続けるというのが、本シリーズでも核心となっている。そして、その悲劇に他者を巻き込むために、時間と空間はさらにねじ曲げられているのだ。
全ての生物は、死んだら完全に無感覚になり、そこで全てが終わるという考え方がある。死への恐怖は、その際に訪れるかもしれない苦痛以上に、そこから訪れる永遠の“無”にこそ恐怖をおぼえる人が少なくない。だからこそ、その不安を乗り越えるために、「死後の世界」という概念が創造されたというのが、多くの宗教が発生し、信者を集めることになった要因であると考えられる。
しかし、最終的に待ち受けているものが“無”ならば、じつはまだマシなのかもしれない。「人は死んでも終わらない」という考え方は、一見希望のように感じられるが、意識がそこで途切れずに、死の瞬間を永遠に再演し続けなければならないとしたら、どうだろうか。天国にも地獄にも行かずに、ビルからの飛び降りを永遠に続けている幽霊のように、終わりのない死を永続的に感じ続けるとしたら、それは“無”よりもはるかに怖いことなのではないだろうか。
もちろん、この種の想像は、人間のネガティブな思考が喚起する、悪夢的なファンタジーに過ぎないだろう。だが、意識的にしろ無意識的にしろ、“死”というものが想像を超えたおそろしいものであるという不安は、さまざまな人が、じつは本能的に持っている根源的な恐怖なのではないか。そして、前作『ミンナのウタ』や、本作『あのコはだぁれ?』の不可解なループ演出が、震え上がるほど怖いと感じてしまうのは、知性を持つ人間が宿命的に抱く、普遍的な不安が喚起されているからかもしれないのだ。
■公開情報
『あのコはだぁれ?』
全国公開中
出演:渋谷凪咲、早瀬憩、山時聡真、荒木飛羽、今森茉耶、蒼井旬、穂紫朋子、今井あずさ、小原正子、伊藤朝実子、たくませいこ、山川真里果、松尾諭、マキタスポーツ、染谷将太
監督:清水崇
原案・脚本:角田ルミ、清水崇
製作:「あのコはだぁれ?」製作委員会
企画配給:松竹
制作プロダクション:ブースタープロジェクト“PEEK A BOO films”
制作協力:松竹撮影所、松竹映像センター
©2024「あのコはだぁれ?」製作委員会
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