『墓泥棒と失われた女神』に覚えた“懐かしさ” エンディングに詰まった最高の幸福のかたち

 リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は2024年2月に行ったイタリア旅行で超エキサイティングな体験をして、人生観が大きく変わった佐藤が『墓泥棒と失われた女神』をプッシュします。

『墓泥棒と失われた女神』

 見たことも行ったこともないはずの景色に「懐かしい」って感じちゃうアレ、なんなの。無意識の記憶ってのがあって、それがふとした瞬間に顔を出してるのかな(でも本当に行ったことないから不思議)。人間の脳はまだ解明されていない部分が多いらしいから、こういう感覚に科学では説明できない何かが隠れているのかもしれない感じがあって、ワクワクしちゃう。

 『墓泥棒と失われた女神』で覚えた感覚もそれに近い。幻想(キメラ)を追い求める墓泥棒たちの数奇な物語は、現実と幻想が交錯する独特の雰囲気に包まれている。その中に「ギリシャ神話」のエッセンスがミックスされてて、これがまた“古くて新しい”って感じで超いいバランス。失った元恋人の影を追いかける主人公・アーサーの視点に、冒険、ロマンス、リアリティの要素が織り混ざり、現実世界の出来事がどこか神秘的に感じられた。

 アリーチェ・ロルヴァケル監督自身の故郷・イタリアのトスカーナ地方を舞台にしている本作。実際にこの地方には「トンバローリ」と呼ばれる墓泥棒がいたらしい。ちょっと不謹慎だけど、私は墓泥棒のお金の稼ぎ方はかしこいなとも思っちゃった。だって、主人公も含めた墓泥棒チームは、自分たちの土地で過去(副葬品)を掘り起こすことで“新しいもの”を得ようとしているんだもん。しかも、主人公がチーム唯一の“外国人”であり、地中に眠る古代エトルリア人の墓を探知できる特別な力を持っているという設定ももどかしくてちょっぴり笑える。それに、そんな彼が、地中のどこかにいると信じこんでいる亡き妻を探し、墓泥棒として地中に潜る行為は、自身の心の奥底に眠る未練と向き合うという意味も帯びているようにも思えておもしろい。

 
 この墓泥棒たちの行為についてロルヴァケル監督は、「資本主義社会の体制に反抗して自由に暮らしているような気分でいたかもしれませんが、結局彼らも巨大なアート市場の違法なビジネスの歯車に過ぎなかった。そういうことも、この映画の背景として重要でした」と語っていた(※)。墓泥棒たちが自分たちは自由だと思ってても、結局はシステムに飲み込まれてるってなんか現代社会の縮図みたい(笑)。自由を追い求めるけど、実はどこかに繋がれてる……。皮肉だけど、物語を観る上で大事な視点だよね。

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