『のび太の地球交響楽』に感じた“ドラえもんらしさ”からの脱却 大長編だからこその魅力も

 『ドラえもん』で“音楽”を題材にした映画をやるというのは、正直かなり意外というか、なんともチャレンジングな試みに思えてならない。大長編40年以上の歴史のなかで、いわゆる“藤子・F・不二雄的題材”といえる恐竜・宇宙・空・過去や異世界、あるいは地球のどこか知られざる場所への冒険といったもの以外のキャッチーなテーマが積極的に選択されるの自体、珍しいことではないか(一応、今回も“宇宙”が舞台設定として存在しているとはいえ)。

 それどころか、『ドラえもん』で育ってきた者からしてみると、どちらかといえば“音楽”は常に単純なギャグ要素として働いてきたことを理解しているわけで、その最たるものはやはりジャイアンの「ボエ〜」である。ドラえもんに“公害”と言われ、一度テレビの電波に流れれば救急搬送される視聴者が相次ぐ事態にまで発展する(「キャンディーなめて歌手になろう」)究極の音痴の代表格。

 ちょうど最近発売された『てんとう虫コミックススペシャル とっておきドラえもん ズンチャカ♪ ひびく音楽編』という、短編エピソードのなかから“音楽”にまつわるエピソードを集めた単行本でさえもジャイアンの「ボエ〜」が中心に構成されているぐらい、『ドラえもん』と“音楽”を繋げる最大の要素といえる。

 その単行本には他にも、ドラえもんがジャイアン以上の音痴になって暴挙に走るという「ドラえもんの歌」というエピソードがあるのだが、そこでは明確に体内に侵入した虫が音痴の原因であると描かれている。それでもやはりドラえもんが歌を得意としているイメージは元々ないに等しい。また、のび太が人気アイドルと入れ替わってしまう「ぼく、マリちゃんだよ」というエピソードでは、のび太も音痴な歌声を披露するし、しずかちゃんのバイオリンの壊滅的なスキルも忘れてはならない。ご近所トラブルにも発展しかねないレベルで下手くそだというしずかちゃんのバイオリン。わかりやすいのは『映画ドラえもん のび太の竜の騎士』でのオノマトペ。「ガギ……」と、これはよほどの腕がない限りバイオリンから出せる音色ではないことは明らかだ。

 だからこそ、今年の『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』でドラえもんやのび太たちが“音楽”を奏でて地球の危機を救うというプロットを見たときに、クオリティ面ではない部分に不安感があったことはいうまでもない。はたして彼らの“音楽”は地球なり、惑星ムシーカなりを本当に救うことができるのだろうか、と。とりあえず劇中ではジャイアンの歌声は響き渡ることなく、各々にぴったりの楽器が託される。しずかちゃんはパーカッション担当となり、バイオリンはスネ夫の手に渡る。そういえばかなり昔のエピソードでスネ夫がバイオリンを手にしているコマを見た記憶があるが、少なくともしずかちゃんよりは上手いことは間違いないだけに安心である。

 とはいえポジティブに捉えれば“個性”ともいえる設定を封印されたジャイアンとしずかちゃん。考えてみれば、物語自体も“ひみつ道具”がほとんど有効活用されることなく動く以上、ドラえもんも役割が封印されたといえるかもしれない。原作コミックは数年前に50周年を迎え、今年は藤子・F・不二雄の生誕90周年であり、テレビアニメ(テレビ朝日版)の放送開始から45周年。さらには2005年春に声優交代をしているので、今年の春で20年目に突入する。そんないくつもの節目のタイミングで、『ドラえもん』はあえて“ドラえもんらしさ”からの脱却を図ろうとしているのか。そんなふうにも思えてしまう。

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