『Mr. & Mrs. スミス』が描く結婚の現在 ドナルド・グローヴァーによる「This is Marriage」

 尾行する過程でベンチに隣同士で座るふたりを、今度は切り返しではなく、同じショットの中に収めていく。そこから劇場の客席に潜入したジェーンは、外で見張りをしているジョンの声を一方的にイヤフォンで聞くことになるのだが、ドナルド・グローヴァーの声の魅力が際立つシーンで、まるでチャイルディッシュ・ガンビーノのポッドキャストを聞いている気分になる。ジョンの声色と、スマートフォンでメッセージを送るジェーンの表情だけで、ふたりのコミュニケーションの進展を伝えるシーンだ。面接室のイス、カフェのソファー、公園のベンチ、劇場の客席と、ふたりの関係の変化をイス(場所)とショットの変化で丁寧に見せたあとでアクションシーンに突入する。

 アクションと言っても、ターゲットを走って追いかけるだけのシーンなのだが、ここの撮り方も的確でエキサイティングだ。ピンチを土壇場で解決するジョンの機転が「お前らが考えるアフリカ系アメリカ人のモノマネ」なのが、ドラマ『アトランタ』を仿佛とさせる展開で面白い。その後、ふたりの最初のミッションはとんでもない終わり方をするのだが、ここで画面の上手から下手へダッシュするふたりをカメラが並走しながら追いかけるショットが素晴らしく、吹っ飛んだ家と反対方向に全速力で駆け抜けていくふたりの身体が、この作品のテーマそのものに見える。

 第1話のラスト、ふたりは疲労困憊で家に帰り、それぞれの寝室で眠る。前半の4話、つまりふたりのパートナーシップが悪化するまでのエピソードでは、毎回、ふたりの夜の過ごし方が描かれて終わる。「不思議な力に守られている」としか言えないような、愛するふたりの幸せな夜のひと時が切り取られており、ずっとこの瞬間が続けばいいのにと誰もが思うことだろう。

 カリーナ・エヴァンズが監督を務めた第3話と第5話では、イタリアのドロミテ山塊とコモ湖を舞台に、いかにもジェームズ・ボンド的なスパイアクションが展開するのだが、結婚生活が冷めきったターゲットの心象風景のように広がる雪山と、ハネムーン気分のふたりの幸せと不安が行き場のないまま満たされているような湖は、アクションシーンに突入しても、本作が結婚についてのドラマであることを視聴者に忘れさせない。

 仕事とプライベートが地続きのふたりの結婚生活は、共働きが増えている現代の結婚そのもので、子供とキャリアのどちらを優先するかという話題も出てくる。これを誰に相談しよう? ふたりはこのミッションへの参加にあたって、親や友人、今までの人間関係の清算を余儀なくされている。結婚してから友人と遊ぶ時間が減ったなんて話はよく聞く。カート・ヴォネガットは『国のない男』で、円満な結婚生活に必要なのは「話し相手」で、かつての結婚はそれぞれの家族が結びつくことで、話し相手が増えるものだったのに対して、現在はそうではないと言っている。ジェーンにはジョンしか、ジョンにはジェーンしか話し相手はいない。ジェーンはいよいよChatGPTのような返信をしてくる「ハイハイ」に悩み相談をする始末だ。「ハイハイ」はジェーンとジョンを争わせようとする。内戦だ。

 ジェーンとジョンはなんとかふたりで結婚というシステムを再定義、新しくデザインしようと試みるが、ここに組織が介入してくる。ふたりにとって「ハイハイ」はトライアングルを形成する社会そのものだ。「ハイハイ」は組織の利益、ひいてはアメリカ政府の繁栄のために結婚を利用して、工作員たちにミッションを与える。もともとの名前を奪い、全員をジェーンとジョンにするのも、必要なのはあくまでシステムであり、個人ではないことの顕れだ。隣人に、自分たちの仕事をソフトウェアエンジニアと偽っていたのが皮肉だが、まるでAIのように指示を出してくる「ハイハイ」にとって、結婚は問題解決のアルゴリズムであり、ジェーンとジョンは駒でしかなく、その光景はどこか「預言」的だ。効率化した社会にふたりのロマンスは敗北し、冒頭のジェーンとジョンの死が繰り返される。窓に映る3度のマズルフラッシュ、おそらくこの家に生存者はいない。生き残るのは形骸化した家とシステムだけで、最後に笑うのは不動産会社なのだ。

 最終話の余韻も含め、本作はヒロ・ムライとドナルド・グローヴァーの作品としての側面が強く、アメリカを異国のように眺める批評的視座と、それを冷めた(冷笑的ではない)画面で再現する撮影と編集の力は、ドラマ『アトランタ』と連続性がある。自身がソシオパスであることに悩みながらも共同生活を送るジェーンを演じたマヤ・アースキンの演技の素晴らしさとは異なり、みんなに気に入られてしまうジョンのキャラクターは、最終話で登場する母親がビバリー・グローヴァーであることからも、そのままドナルド・グローヴァー/チャイルディッシュ・ガンビーノの姿と重なる。本作と同じくPrime Video配信のヒロ・ムライ監督『Guava Island』でも、主人公のデニを演じたドナルド・グローヴァーはシステムに反抗した結果、殺されてしまう。芸能活動をしながら、ひとりの人間として家族や結婚について考え、システムに疑問を投げかけ続ける。そんなドナルド・グローヴァーの最新作が『Mr. & Mrs. スミス』なのである。これが結婚の現在、まさに「This is Marriage」というワケだ。

■配信情報
『Mr. & Mrs. スミス』
Prime Videoにて配信中
©Amazon MGM Studios

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