『ドラゴンボール超 ブロリー』は“歪な構成”の傑作アクション作 最高の無茶苦茶を堪能せよ
観たことがある『ドラゴンボール』の映画が『ドラゴンボールZ 超戦士撃破!!勝つのはオレだ』(1994年)だけで、ブロリーのこともあのドロドロしたやつしか知らない。子供のころの自分がなにを思って『ドラゴンボールZ 超戦士撃破!!勝つのはオレだ』をTSUTAYAで借りて観たのかは思い出せないが、これが尺の短いしょんぼりとした作品で、夕日を眺めながら一日を無駄にさせられたような気分になったのを覚えている。以来、『ドラゴンボール』の映画は観てない。
というわけで『ドラゴンボール』の映画とブロリーには並々ならぬ因縁があるのだが、今回機会があってついに『ドラゴンボール超 ブロリー』を観させていただいた。すごかった。すごかったのだが……これが国民的マンガ作品の劇場版として通るのは、どうかしている気がする。
本作は因縁ある三人のサイヤ人の物語である。いや、因縁と呼べるほどの縁があるわけではないが、とにかくかつて滅びたあの星で過ごしていた三人が巡り巡って地球に集結したのである。では三人のサイヤ人が集ってやることと言えば? そう、バトルだ!
『ドラゴンボール超 ブロリー』はとにかくすごい映画だった。『ドラゴンボールZ 超戦士撃破!!勝つのはオレだ』一本分の尺を使った状況設定が終わればあとはず~~~~~~っとデッカいバトルをやってる。これが比喩ではなく、本当にずっとバトル。それも『ドラゴンボールZ 超戦士撃破!!勝つのはオレだ』一本分の尺を使ってバトルしている。こんな無茶苦茶な構成があるだろうか? しかもそのテンションがずっと高い。最初からテンションMAXみたいな激しさと作画でバトルが発生し、そのテンションのまま最後まで突き抜ける。ベジータも悟空もブロリーもずっと叫んでいるし、山とかも普通に消し飛んでいる。
しかもこんなハイテンションで戦っているのに、よく考えたらそれほど戦う理由がないのがすごい。ブロリーの父親とベジータには逆恨みめいた因縁があるが、悟空に関してはほぼゼロ。一応ドラゴンボールがマクガフィンとして扱われているものの、そのドラゴンボールを使う目的も「身長を伸ばしたい」というズッコケ・ギャグとして消費されてしまっているため、本作の盛り上がりになにも貢献していない。しかし、だからこそである。この因縁なき闘争がかえってサイヤ人の闘争本能を光り輝かせている。ベジータとブロリーのタイマンがある程度済んで、悟空が準備運動を始めた時の楽しそうな雰囲気に、なんだか少し感動してしまった。因縁があろうとなかろうと「強いやつと戦いたい」だけで盛り上がることができる。それが孫悟空なのだと。