『ブギウギ』戦後描写のわずかな違和感 “歌”の表現が素晴らしいからこそ気になるポイント

『ブギウギ』戦後描写のわずかな違和感

 「俺たちは楽器鳴らして戦争を生き抜いた」という一井(陰山泰)のたくましいセリフ(第71話より)に、焼け野原に楽器を持って立つすっくと立つ、福来スズ子とその楽団の姿が思い浮かんだ。武器ではなく楽器――音楽で生き抜いたのだ。

 戦争になり、敵性音楽を禁じられ、歌劇団は解散し、行き場のなくなった音楽家たちは、“福来スズ子とその楽団”として音楽を諦めることなく音楽で人々を励まし、たぶん、少額ではあろうが生活費を稼いできた。

 楽団員たちの個別の物語は描かれなかったし、たまにセリフを言うと、お酒の話だったりして、わりと自堕落な印象もあったが、彼らはなかなかしたたかで、心意気のカッコいい人たちであったのだ。

 朝ドラことNHK連続テレビ小説『ブギウギ』第15週「ワテらは自由や」では、戦争が終わって、楽団に仕事がたくさん入るようになってくる。するとそれぞれに仕事の口が舞い込んできて、三谷(国木戸かっぱ)や四条(伊藤えん魔)は掛け持ちをはじめ、勤務態度が悪くなる。一井(陰山泰)や二村(えなりかずき)にも引き抜きの話が来ていると知ったスズ子は楽団を解散することを決意した。

 この決断に、スズ子は身勝手ではないかという感情も沸かなくもない。楽団を作ったのはスズ子だったが、愛助(水上恒司)の介護で楽団どころではないときもあったし、スズ子が楽団を食わしていくという気概があまり感じられなかった。というのは、茨田りつ子(菊地凛子)は自身の楽団を食わさなくてはならないのだというようなセリフを言っていたときがあって、実際の彼女の行動は描かれなかったが、茨田の深刻な口調で孤軍奮闘しているように感じたからだ。

 スズ子の描写は、愛助との関わりも作劇上、盛り込まないとならないためか、ばらけてしまった印象がある。だが、『ブギウギ』で描きたいのはスズ子の博愛精神であるはずで、小夜(富田望生)のことも、付き人を雇う余裕はなくても、身寄りがない彼女を放っておけなくて、そばに置いていたのではないだろうか。楽団に関しても、福来スズ子というブランドがあるから、楽団は成り立っていたので、彼女が多少、愛助に時間を割いていても、楽団員たちは楽団でいることのほうが生きやすかったのだろう。たぶん、彼らも音楽がないとほかにやれることがなかったに違いない。スズ子は彼らの精神的主柱になっていたのだ。

 戦後、音楽のジャンルにも規制がなくなって、むしろ、米軍が入ってきてアメリカの音楽が欲されるようになったので、皆、スズ子に頼らずとも済むようになった。だからスズ子は、彼らにもっと自由に、好きな音楽をやってもらおうと考えたのであろう。

 小夜だけは、スズ子がいないと生きていけないであろうと心配し、そのまま付き人でいてもらおうという優しさに違いない。ところが、小夜は、サム(ジャック・ケネディ)と出会って、すっかり夢中になり、付き人を辞めると言い出した。

 小夜の言動は少し理解しづらい。もともと、流れさやすく、弟子になりたいと言っていたのに、まったく歌を習う気はなさそうだった。それに、悪気はないながらその場その場の感情や状況に流されやすく、スズ子を怒らせたこともあった。他人を激しく疑うかと思えば、サムには妙に急速に心を開いてしまっている。最も警戒すべき米兵であるにもかかわらずである。米兵にだっていい人もいるという展開にしたいのかなあとも思うが、小夜が浅はかに見えてしまって、サムとの関わりが心温まりにくい。

 サムが小夜に宝くじを一枚買ってくれて、そのお返しに、ハズレくじでもらえるタバコを手渡す。という行為がふたりの間に、対等な関係が生まれたということだと、理屈ではわかるのだが……。

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