朝ドラ『らんまん』が心を摑んだ理由 名もなき草に光を当てた長田育恵の名脚本

朝ドラ『らんまん』が心を摑んだ理由

東大出禁で名もなき雑草に逆戻り

(左から)槙野万太郎役・神木隆之介、田邊彰久役・要潤、波多野泰久役・前原滉

 第16週「コオロギラン」(第76話)で田邊教授が新種として発表しようと準備を進めていたトガクシソウを、ケンブリッジ大学に留学中の伊藤孝光(落合モトキ)が先にイギリスの雑誌に発表してしまい、東大の植物学研究室一同は動揺する。藤丸は、「誰が発表したって花は花じゃないですか」と述べて新種発表や名づけを競うこと、大学が「いくさば」となってしまったことに疑問を呈する。藤丸の言葉は万太郎に刺さり、「わしこそ名づけ親になりたくて執着しよる人間じゃ」と気づく。

 第17週「ムジナモ」(第84話)で、田邊は万太郎が見つけた「ムジナモ」が日本でまだ発見されたことのなかった食虫植物であることを教え、万太郎に発表を促す。しかし第85話では、万太郎が書いたムジナモの論文に自分の名前がなかったことに田邊が激怒し、万太郎に東大植物学教室への出入りを禁じる。万太郎は田邊に認められたい一心ではあったものの、名づけ親になることに執着するあまり、発見を自分だけのものとしてしまったのだ。ここでは第16週での気づきは活かされなかったと言える。

東大助手という名を捨てて自ら名もなき草を選ぶ

 その後、万太郎夫妻は長女・園子を失い哀しみのどん底に突き落とされるが、万太郎は旅先で山元虎鉄(寺田心・濱田龍臣)に出会ったことをきっかけに、植物採集に他者の協力を得るようになる。第22週では大学を追われた田邊に代わって教授となった徳永政市(田中哲司)の計らいで、東京帝国大学に正式な助手として迎え入れられ、ようやく名もなき雑草から東京帝国大学という権威を担う地位に就く。しかし万太郎は、南方熊楠からの手紙をきっかけに明治39年の神社合祀令以降、多くの神社とともに植物が消滅しようとしている事実を知り、徳永の反対を押し切って熊野に出向き、そこで採取したツチトリモチを発表するために大学を去る決意をする。

 ツチトリモチは新種ではないため名づけ親になるわけでもなく、ただ神社とともに消滅の危機にある植物を救うために、在野の一植物学者としての道を歩む決断をしたのである。万太郎は、「持てる者」から「名もなき者」となり、「植物学者」としてのアイデンティティの獲得を目指してきたが、これからは権威に頼らず、植物への深い愛情のみを根拠とするものへと変貌したと言える。ここで万太郎は、一植物学者として、野の草として生きることを、自ら選び取ったのである。

傲慢さを捨て理学博士という名を獲得する

 終盤、関東大震災で万太郎は十徳長屋とともに多くの標本を失う。まだ田舎だった渋谷で料亭を繁盛させていた寿恵子は、震災で焼け出された人びとが集い賑わう渋谷をあっさりと捨てて、料亭を売ったお金で練馬に万太郎と万太郎の植物標本のための家を購入する。

 最終週の第128話で、東大時代からの学友で今は学士院会員となった波多野泰久(前原滉)から、理学博士号を受けるよう説得される。固辞する万太郎に対して、波多野は「傲慢だよ」と告げる。そして「槙野万太郎は自分の力でここまで来たと思ってるんでしょ。槙野万太郎がここにいるのは、時代なのか、摂理なのか、そういうものに呼ばれてここにいるんだ」と言い、自分は大発見によって賞賛と引き換えに学問に貢献する立場と義務を引き受けたのだと語る。そして万太郎は、「そうすればこの国の植物学にあなたの名前が刻まれるでしょ、あなたの名前が永遠に」という寿恵子の言葉で理学博士となることを決意する。何者でもなかった万太郎が自分の力を過信する傲慢さを乗り越え、理学博士という名を自らに与え、学界への責任を引き受けたのである。

植物図鑑にみんなの名を刻む

 万太郎は理学博士となるが、寿恵子は病に倒れ、死期が迫る中、万太郎は野宮(亀田佳明)や藤丸、明教館時代からの友人である広瀬佑一郎(中村蒼)、十徳長屋の住人だった堀井丈之助(山脇辰哉)ら周囲の人間たちに助けを求め、みんなで植物図鑑の完成を目指す。そうして生涯の目標であった『槙野日本植物図鑑』は刊行される。その謝辞には世話になったすべての人々の名が網羅されていた。万太郎はかつて早川逸馬の前で演説した折に、「厳しい季節の間も根っこ同士繋がり合うて伸びる力を蓄える。元気いっぱい芽吹くために」と語ったが、その言葉を真に体現するのである。

「新種」に寿恵子の名をつける

 植物学者という名にこだわってきた万太郎は植物学博士という地位と自らの名を冠した図鑑の刊行によってその名を残すことになるが、このドラマのハイライトはそこではない。このドラマの白眉は、その図鑑の最後に加えられた新種の名称「スエコザサ」だ。万太郎は新種に自分の名前ではなく妻・寿恵子の名をつけることで、縁の下の力持ちとして陰で支え続けた寿恵子に光を当てたのである。名前を付与することでその存在に光を当て、それによって植物学者としての自らの名を刻むという万太郎の欲望や執着は乗り越えられ、最終的に愛する者に光を当てることに結実する。

 こうして『らんまん』は、夫婦の愛の物語として幕を下ろす。持てる者から名もなき者となり、いったんは東京帝国大学という権威を担うも一植物学者となることを選んだ万太郎は、最終的に望んだものを手に入れる。が、ここまで見てきたように、『らんまん』は単なる成功物語ではなかった。寿恵子は万太郎を「おひさま」に例えるが、万太郎が自らの名を刻むことへの執着を乗り越え、寿恵子はじめ周囲の人びとに光を当てる物語であったからこそ、私たちは感動したのではないだろうか。

■放送情報
NHK連続テレビ小説『らんまん 総集編』
NHK総合、BSプレミアム4Kにて同時放送
前編:12月30日(土)7:20〜8:45放送
後編:12月30日(土)8:45〜10:10放送
※各編85分 
出演:神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、佐久間由衣ほか
作:長田育恵
語り:宮﨑あおい
音楽:阿部海太郎
主題歌:あいみょん「愛の花」
制作統括:松川博敬
プロデューサー:板垣麻衣子、浅沼利信、藤原敬久
演出:渡邊良雄、津田温子、深川貴志ほか
写真提供=NHK

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