『らんまん』寿恵子の言葉に凝縮されていたフィクションの力 語り継がれる特別な一作に
この世界には「世に伝えられるべき物語」というものがあらかじめ存在するのではないかと思うことがある。機が熟した最高のタイミングで、それを伝える使命を担う“賢人”が、導かれるように集められて、結実したかのような作品。「奇跡」という言葉を安易に使いたくないが、何年かに一度そういう、「伝えられるべき」作品に出会うことがある。9月29日(9月30日は1週間の振り返り)に最終回を迎えた『らんまん』(NHK総合)も、そのひとつだ。
「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎をモデルに、フィクションとして再構築し、槙野万太郎(神木隆之介)という一生涯草花を愛し抜いた男と、彼を取り巻く人々の人間模様を描いた本作。念の為に補足しておくと、ここで述べる「世に伝えられるべき物語」とは、「牧野富太郎の伝記ドラマ」ではなく、槙野万太郎を主人公とした『らんまん』というドラマのことだ。
脚本を手がけた長田育恵氏は、以前こんなことを言っていた。
「2021年に新型コロナウイルスの影響で舞台が上演中止になった時、NHKから『朝ドラ』をやらないか、と声をかけられました。その瞬間、10年以上前に、舞台美術家の方に『いつか長田さんは牧野富太郎を書くといいよ』と言われたことをパッと思い出したんです」(※1)
なんと、10年以上前に題材のヒントを得ていた。しかし、作品の良いも悪いも、すべては巡り合わせで決まる。『らんまん』は単発ドラマでも、1クールの夜ドラマでもなく、朝ドラだからこそ、そして今だからこそ、この『らんまん』になり得た。2023年という放送年が「機が熟した最高のタイミング」だったのだ。
企画、脚本、演出、キャスト、すべての要素が最良のかたちで在るべきところにあり、互いに共鳴しあい、高めあっていった作品という印象を受ける。長田氏が書く脚本に貫かれる哲学を、ドラマに関わる全ての人たちが共有して、一つ所を目指して進んだのだろうと、ドラマを観ていてひしひしと感じた。
なぜ牧野富太郎をモデルに、植物をテーマにした朝ドラを書きたいと考えたのか。長田氏はこう語っている。
「懐が深く、間口が広いのが、『植物』というテーマの魅力でした。あらゆる人、こと、ものに結びつけることができる」
「固い種から芽吹いて、重い地面を突き破り、花を咲かせて、葉を落として、最後に種を残して、次の世代へとつないでいく……というライフスタイルが、もともと植物には備わっている。命の始まりから終わりまでが、すべて内包されている」(※2)
この言葉のとおり『らんまん』は、人間の全てが描かれた、とても本質的な物語だった。その「本質」が、どうやったらいちばん伝わるのかということが、考え抜かれた作品だった。本作の素晴らしいところを挙げればきりがないのだが、「伝える」ためのテクニカルな点に絞るならば、史実と創作部分のバランスが特に秀でていたと感じる。
実在の人物をモデルにしたフィクションでは、どこを取り入れて、どこを描かないかの取捨選択が要だ。本作は、モデル(牧野富太郎)とテーマ(植物学)へのリスペクトを溢れんばかりに注ぎ込み、新種の発見と発表、植物の学名などの業績関係は史実に忠実に描く一方で、登場人物の出会い方や別れ方、関係性については大胆にアレンジした。この「創作部分」がことごとく素晴らしかった。
史実と創作。両者のバランスについて、長田氏はこんな持論を語っていた。
「『事柄』にどういうふうに突入して、どうやって出ていくのかを考える。史実を元にしたフィクションにおいて、この『入口』と『出口』は自由であると考えています。人物の感情がいちばん積み上がったところで『事柄』が出てくる。私の場合、『事柄』は“通過ポイント”として使っています」(※2)
牧野富太郎も、槙野万太郎も、自らが一生涯を捧げた植物学と、植物を愛する心を「後の世に伝えたい」という願いは同じ。では、モデルのどの部分を抽出したら、より強くそのメッセージが伝わるのか。評伝劇を数多く手がけてきた長田氏の手腕が、朝ドラにおいても冴え渡っていた。
このドラマは、創作の部分であるところの「人物の感情」「人の思い」をとても大切に扱っていた。人の、深いところにある思いを、台詞の字面そのままではないところで、あるいは言葉以外で表現することで、それがより鮮烈に観る者に届いた。
「雑草という草はない」という万太郎の信条に象徴されるように、「脇役」「モブ」というものが存在しなかった。登場人物の誰もが、何を思い、何を願い、自分の人生をどう生きたかが、鮮やかに刻み付けられていた。創作で人の営みや人間関係の綾を豊かに描くことで、植物と同じく、人間も互いに影響しあって生きている、そうやって世界はできているのだというメッセージを伝えていた。
最終回で完成した図鑑の巻頭の謝辞にずらりと並んだ、万太郎と関わり、支えてくれた人たちの名前が、そのまま万太郎の歩んできた道のりだ。故郷・佐川では幼なじみの寛太(新名基浩)と草花以外に友達がいなかった万太郎が(竹雄は常にそばにいてくれたが)、東京に出て東大に出入りできるようになった後もたった独りで研究を続け、「孤独じゃ」と漏らしていた万太郎が、長い年月を経て築き上げてきたものが、巻頭の謝辞に刻まれていた。
理学博士への推薦を一度は固辞しようとした万太郎に、盟友の波多野(前原滉)は言った。
「傲慢だよ。槙野万太郎は自分の意思でここまできたと思ってるんでしょ? 槙野万太郎がここにいるのは、時代なのか摂理なのか、そういうものに呼ばれてここにいるんだ」
学問は一人のものではない。広めて、共有してこそ意味と価値がある。そして「物語」もかくのごとし。『らんまん』という物語も、「時代なのか摂理なのか、そういうものに呼ばれてここにいる」気がしてならない。