『VIVANT』の面白さはまさに“幕の内弁当” 70年代大作映画的な潔さに舌鼓を打つ

 ドラマ『VIVANT』(TBS系)が、今夏を席巻している。堺雅人(『半沢直樹』)、阿部寛(『下町ロケット』)、役所広司(『陸王』)、二宮和也(『ブラックペアン』)といった“日曜劇場アベンジャーズ”に加え、二階堂ふみ、松坂桃李、林遣都、竜星涼ら豪華キャストが集結。夏ドラ視聴率争いでトップを独走し、SNSでは独自解釈や考察が溢れている。その人気の秘密はいったい何なのか? 9月17日の最終回を迎えるにあたって、その魅力について考察していきたい。

(以下、ネタバレを含みます)

 第9話まで鑑賞してきて筆者が感じるのは、脇を占めるキャラクターがとても漫画的であること。例えば主人公の乃木(堺雅人)を鬼神の如く追いかけ回すバルカ警察のチンギス(バルサラハガバ・バトボルド)は、長髪でコワモテという風貌が漫画的だし、公安の野崎(阿部寛)の協力者ドラム(富栄ドラム)も、その巨体には似つかわないくらいに愛くるしい風貌。コミュニケーション手段は翻訳アプリ(声を演じているのは、林原めぐみ!)のみ、という設定も漫画的だ。リアリティよりも、キャラとしての強さが優先されている。

 他にも、謎のサングラス男・バトラカ(林泰文)、GFL社社長のアリ・カーン(山中崇)など、見た目のインパクトが強い登場人物がやたら多い。ブルーウォーカーと呼ばれる天才ハッカーの正体が、丸菱商事財務部に勤務する若手社員の太田(飯沼愛)だったというのも、見た目とのギャップを重視したものだろう。『VIVANT』では、とにかくキャラの強い人物を組み合わせることで、強度の高いドラマを創り上げている。

 もう一つ感じるのは、“新しさ”というよりも“懐かしさ”。アクの強い役者を揃えたオールスターキャスト、緻密というよりは豪快、そしてちょっと大味な感じが、かつての『日本沈没』(1973年)や『ノストラダムスの大予言』(1974年)のような、70年代に作られた大作映画のノリを感じるのだ。

 『VIVANT』の原作と演出を担当しているのは、『半沢直樹』や『下町ロケット』など、数々のヒット作を世に送り出してきた敏腕ディレクター福澤克雄。喜怒哀楽を極限まで増幅させる芝居、ダイナミックで骨太な演出によって、彼は“日本で最も視聴率を獲得できるドラマ監督”となった。2カ月半に及ぶモンゴルロケを敢行した本作は、破格のスケールで描かれるアドベンチャードラマ。そこに、福澤克雄のコテコテ演出が注入されることで、70年代大作映画のような“懐かしさ”が生まれている。

 筆者が思い起こすのは、かつての巨匠・佐藤純彌監督。東映でヤクザ映画を数多く手がけた後はフリーとなり、『新幹線大爆破』(1975年)、『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年)、『人間の証明』(1977年)、『野性の証明』(1978年)といった大作を次々に発表した。これらの作品に共通しているのは、リアリティラインを崩しかねない(というか、ほぼ崩れている)ほどに脚本上のツイストや突飛なプロットに溢れていて、ツッコミどころもたくさんあるのだが、ハンパなく面白いということ。

 『VIVANT』も、「あれだけ距離があるのに、チンギスの銃が車に当たるのかよ!」(第1話)とか、「サーバールームに潜入するときはあれだけ大変だったのに、どうやって脱出したんだ?」(第3話)とか、「天才ハッカーなのに、会社に潜入してパソコンを操作するのかよ!」(第3話)とか、ツッコミどころは盛りだくさん。だがそれは脚本上の瑕疵というよりも、「リアリティに縛られてお話がつまらなくなるくらいなら、荒唐無稽上等!」という制作サイドの意思表明に感じられるのだ。むしろ筆者は、その潔さに感動してしまう。

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