『アステロイド・シティ』をネタバレありで解説 ウェス・アンダーソンが作品に込めた真意

 同時に描かれるのは、劇作家と主演俳優が恋愛関係になるという要素だ。アメリカにおいて1950年代にゲイであることは、それだけで社会を乱す軽犯罪とされていた。エドワード・ノートン演じる劇作家は、そんな自身の恋愛を、密かに男女の出会いとして戯曲に反映させたようだ。それが、「アステロイド・シティ」の主人公である、妻を亡くした痛みに耐える男と、新しい女性ミッジとの関係なのだ。

 しかし番組では、劇作家が突如亡くなってしまうことが伝えられる。そのことで主演俳優もまた、自身が「アステロイド・シティ」の主人公と同じく、大事な存在を亡くしてしまった立場に立たされてしまうのだ。そして彼は、悲しい思いを抱えながら新しい女性と出会うという、「アステロイド・シティ」の物語を演じるプロセスのなかで、自分の心も救われるものだと期待していたらしい。

 しかし、その心は依然として癒えることがなく、彼はオギーを演じながら、小道具の電球を破壊するなど、自暴自棄な振る舞いを見せる。さらには熱されたトースターにわざと手をのせて、手のひらにひどい火傷を負ってしまうショッキングな展開もある。ミッジ役の俳優はそのとき思わず役柄を忘れ、「あなた、本当に火傷してる……!」と驚くのだった。

 その後、彼は楽屋に戻ると演出家に、自分には役がとらえられないと相談するが、「君はこのままでいい、よく演じている」と、諭されるのだった。これは、『波止場』(1954年)や『エデンの東』(1955年)で、マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンが演じた技法がそうであるように、俳優が意図的に役柄そのものの感情を追体験することで没入する「メソッド演技」のことを指していると思われる。

 それでも納得のできない主演俳優は、思わずバルコニーに出て外の空気を吸おうとする。そこでの偶然の出会いと、得られた愛情の徴(しるし)によって、彼は役を最後まで演じられるようになるのだった。このサプライズといえる光景の背後では、「アステロイド・シティ」の荒野とは対照的に、ビルが立ち並び、雪が舞っている。本作の最も美しい瞬間である。

 演技についての問題を劇作家などがディスカッションする場面では、「眠らなければ起きられない」という答えにたどり着くことになる。演技とは、現実に存在する生身の人間が、夢のような非実在の役柄になりきるようなものだ。であれば、俳優が自分自身の存在を忘れ、役柄そのものの人格になるという“忘我の境地”に達することができれば、自分の感情そのままに動くだけで、演技における“正解”になり得るはずである。

 役に戻り、オギーが目を覚ますと、アステロイド・シティに滞在していた人々は、ほとんど町を去ってしまい、新たなロマンスの可能性であったミッジも去ってしまったことを知ることとなる。しかし、彼女と出会ったダイナーで食事をとるときに、彼には一つの希望が残される。新しい恋の予感が漂ったまま、なんと本作は、劇中劇のなかで幕を閉じるのだった。

 オギーがその後、どうなったのかは分からないし、オギーを演じていた俳優の心が救われたのかも分からない。しかし、演劇のなかでオギーの心が前へと向いたことは確かである。そしてもし、主演俳優がオギー自身になりきり、同一化を果たしているとするならば、彼の心もまた前へと進むことができたのだと考えられる。だからこそ本作は、主演俳優のその後を、あえて描くことなしに、彼の救済を暗示することができているといえるのだ。

 このように、芸術や創作は、ときに人々の人生を変え、心を救ってくれることがある。それはまた、本作における異星人の出現のように唐突に訪れるものでもあるだろう。本作が描くのは、それが人に決定的な影響を与える瞬間である。

 そして、つくり手はそこに、自分の人生のなかでたどり着いた真理を描くことができるし、深い愛情を込めることもできる。その事実は、われわれが優れた作品に触れるときに心を揺さぶられる理由を言い当てているのではないだろうか。ウェス・アンダーソン監督が、本作を通して観客にうったえかけるのは、そのような芸術のなかにある人間性の存在だと考えられるのだ。

■公開情報
『アステロイド・シティ』
TOHOシネマズシャンテ、渋谷ホワイトシネクイントほかにて公開中
製作総指揮:ロマン・コッポラ、ヘニング・モルフェンター、クリストフ・フィッサー、チャーリー・ウォーケン
監督・脚本:ウェス・アンダーソン
出演:ジェイソン・シュワルツマン、スカーレット・ヨハンソン、トム・ハンクス、ジェフリー・ライト、ティルダ・スウィントン、ブライアン・クランストン、エドワード・ノートン、エイドリアン・ブロディ、リーヴ・シュレイバー、ホープ・デイヴィス、スティーヴン・パーク、ルパート・フレンド、マヤ・ホーク、スティーヴ・カレル、マット・ディロン、ホン・チャウ、ウィレム・デフォー、マーゴット・ロビー、トニー・レヴォロリ、ジェイク・ライアン、ジェフ・ゴールドブラム他
原案:ウェス・アンダーソン、ロマン・コッポラ
制作:ウェス・アンダーソン、スティーヴン・レイルズ、ジェレミー・ドーソン
配給:パルコ ユニバーサル映画
2023年/アメリカ/カラー・モノクロ/スコープサイズ/英語/104分/字幕翻訳:石田泰子/原題:Asteroid City/映倫:G 
©2022 Pop. 87 Productions LLC
公式サイト:asteroidcity-movie.com 
公式X(旧Twitter):twitter.com/asteroidcity_jp 
公式Instagram:instagram.com/asteroidcity_jp 

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