『アステロイド・シティ』をネタバレありで解説 ウェス・アンダーソンが作品に込めた真意

 アメリカの映画界で、きわめて個性的なスタイルを駆使しながら、ポップで抽象的な映像世界を生み出しているウェス・アンダーソン監督。そんな彼のフィルモグラフィーのなかでも、『アステロイド・シティ』はとりわけ複雑な作品だ。

 いったい、何が描かれていたのか。ここでは、すぐにはそれが理解しづらい、難解な本作『アステロイド・シティ』の内容を振り返りながら、ウェス・アンダーソン監督が、そこに込めたと思われる真意を考察していきたい。

※以下、『アステロイド・シティ』のネタバレを含みます

 メインの舞台となるのは、アメリカ南西部、人口87人という“架空の町”アステロイド・シティ。周囲には、モニュメントバレーのような赤茶けた岩山やサボテンが点在する荒野が広がり、隕石が落ちたというクレーターが唯一の観光名所となっている。

 そんな風景は、スペインに組んだという大規模なセットによって表現され、映像の風合いはウェス・アンダーソン作品らしく、くすんだパステル画や古いポストカードのイラストのような色合いで、建物や自然物が整然としたシュールな配置で並んでいる。まるで舞台の書き割りとして描かれた絵のようにも感じられるが、それをわざわざセットで表現してしまうところが、本作の異様さを際立たせてもいる。

 その近辺で核実験が断続的におこなわれ、キノコ雲が確認できるように、本作の時代設定は、アメリカがソビエト連邦と核開発競争を繰り広げていた1950年代だ。本作には、この50年代アメリカに見られた特徴的な要素がいくつも確認できる。

 TVの一般家庭への普及や、広告などで打ち出される画一的な、表面上の“理想の家族”のイメージ、映画『宇宙戦争』(1953年)のような緑色の宇宙船なども現れる。1952年には、未確認飛行物体の目撃例が急増した「ワシントンUFO乱舞事件」も起こり、「ソ連の放った秘密兵器なのではないか」とも噂されていた。

 小さな町アステロイド・シティでは、天才的な発明を成し遂げた子どもたちを表彰する科学賞のセレモニーが、いままさに開かれようとしていた。ジェイソン・シュワルツマン演じる戦場カメラマン、オギーもまた、この町の唯一の宿泊施設かと思われるモーテルに、子どもたちを連れて宿泊している。そこに現れたのは、有名女優のミッジ(スカーレット・ヨハンソン)。彼女は、当時セックスシンボルとして象徴的な存在であったマリリン・モンローのイメージをまとっている。

 本作がややこしいのは、ここまで書いたような内容が、“劇中劇”であるという点だ。本作でメインの物語として進行していくのは、「アステロイド・シティ」という名の演劇であることが、事前に説明される。そして、その演劇の舞台裏を紹介するTV番組の映像が断続的に差し挟まれることになる。

 本作には、トム・ハンクスやティルダ・スウィントン、ジェフリー・ライトやジェフ・ゴールドブラムら、豪華な顔ぶれが続々現れるが、ここで俳優たちが一次的に演じているのは、「アステロイド・シティ」の演劇に出演する俳優であり、その俳優たちは、さらに演劇のなかで二次的に役を演じているということになる。スカーレット・ヨハンソンに至っては、さらに演劇のなかでも女優役として登場しているため、そこで三次的に役を演じるといった、混乱させられる場面まである。

 奇妙なのは、ブライアン・クランストン演じるTV番組のホストが、「アステロイド・シティは存在しません。この番組のために特別に制作された架空のドラマです」と、番組中で説明するところだ。この説明があるせいで、本作の見方を見失いそうになってしまう観客は少なくないはずである。なぜなら、そんな番組をわざわざ作る理由が、そもそも考えにくいのだ。そして、演劇「アステロイド・シティ」そのものも、本作の時代設定である1950年代の一般的な観客が楽しめるとはあまり思えない、かなり狂った内容となっている。

 このようにウェス・アンダーソン監督と、共同で原案を考えたというロマン・コッポラは、われわれ観客を矛盾した曖昧な世界に放り込むことで、意図的に現実と創作の境界を希薄にしてしまう。たしかに、「アステロイド・シティ」は存在しない。このことを、「第4の壁」を破りわれわれに伝えることで、映画を観ているわれわれの現実もまた、この作品構造の一部になってしまうのだ。

 TV番組として表現される、演劇「アステロイド・シティ」の裏側は、劇作家(エドワード・ノートン)の戯曲の執筆や、主演俳優(ジェイソン・シュワルツマン)との出会い、演出家(エイドリアン・ブロディ)や演技指導(ウィレム・デフォー)たちとのディスカッションなどが、モノクロの映像で映し出される。

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