『だが、情熱はある』胸に響く髙橋海人の言葉 若林と山里の“変化”が与えてくれた気づき
大号泣……するわけじゃない。しかし、気がついたら、いつの間にか涙が頬を伝っているような。『だが、情熱はある』(日本テレビ系)第11話は、これまででいちばん切なく、苦しく、そして温かい回だった。
「もうほとんど人生は、“合う人に会う”ってことでいいんじゃないかって思った。誰とでも合う自分じゃないから、合った人に会えるように頑張る。それが結論でいいんじゃないかって思った」
父の死を経験した若林(髙橋海人)の言葉が、胸に響く。たしかに私たちは、人生と真剣に向き合いすぎているのかもしれない。まわりの人すべてに好かれる自分でいなきゃ。“変わってる”なんて思われないように。なるべくまわりと足並みをそろえながら……。そんなふうに思っているから、どんどん幸せからは遠ざかっていく。もっとシンプルに生きられたら、日々を“好き”で溢れさせることができるのに。
本作では毎週のように、タニショー(藤井隆)が若林に、「今、幸せ?」と問いかける場面がある。私はそのたびに、自分の心にも耳を傾けてきた。だけど、やっぱりタニショーのように心の底から「幸せー!」と叫ぶことができない。というか、そもそも幸せって、基準が定まっているわけではないから判断するのがむずかしい。
たとえば、はたから見たらどん底の生活をしている人でも、その人自身が幸せだと思っていたら、それは幸せで。反対に、他人から羨まれるほど華やかな日々を送っていても、不幸だと感じている人もいる。周囲からの賞賛の声、豊かな生活……どれも当てにならないのなら、自分で幸せのものさしを作ってしまえばいい。
「死にたくないって思うくらい、幸せかなぁ」
若林の父が、死の間際に語った言葉。別に、「生きてるのが楽しい!」「幸せで仕方がない!」なんて思う必要はないのだ。ただ、ちょっとでも死にたくないと思って、いま生きているのなら、それは幸せだということ。“私は、幸せなんだ”と言い聞かせたら、なんだかちょっぴり世界が明るく見えた。
大人になるって、いろいろなものを手放していくことなのかもしれない。そうすると、人生に“余白”が生まれる。その余白のなかに、新しい“好き”をどんどん埋め込んでいけばいい。