『生きる LIVING』は名作をどうリメイクしたのか? 黒澤明監督のオリジナル版と比較考察

 “生きる”とは、一体どういうことなのか? 普遍的で重厚といえる哲学的テーマを表現し、大きな衝撃と深い感動を与えた、巨匠・黒澤明監督作『生きる』(1952年)の劇場公開から、およそ70年もの歳月が経った。この名作映画が、この度イギリスで『生きる LIVING』としてリメイクされ、日本の劇場へと里帰りした。

 このリメイクを発案し、イギリスを舞台に脚本を書き直したのは、かつてオリジナルの『生きる』に感銘を受けたという、日本にルーツを持つイギリスのノーベル賞作家カズオ・イシグロだ。本作では製作も担当し、リメイクに熱意を燃やしていたイシグロが主演俳優として当て書きしたのは、イギリスの名優ビル・ナイ。かつて志村喬が演じた、余命少ない役所勤めの主人公役を務めている。

 巨匠の名作を、カズオ・イシグロをはじめ、製作者たちはどのようなアプローチでリメイクしたのか。そして、オリジナルの『生きる』と、本作『生きる LIVING』は、何を描こうとしたのか。ここでは、それをできるだけ深く考えていきたい。

 黒澤作品の中でも海外で人気がある『生きる』は、トム・ハンクスを主演に、アメリカで映画化するという企画もあったのだという。結局トム・ハンクスは、近い時期に公開されることとなる、類似した物語の作品『オットーという男』(2022年)に主演することになった。これは、ある意味で精神的な意味での「アメリカ版『生きる』」だったといえよう。もちろん、権利者に許諾を取った「イギリス版」である本作では、最大限にオリジナルの『生きる』の内容にリスペクトを払ったものとなっている。

 例えば、画面のアスペクト比。1952年のオリジナルでは、現在の多くの映画作品の比率よりも横幅の比率が少ないスタンダードサイズだったが、本作ではそれに近づけたクラシカルなものとなっている。このことで、画面には端正さと緊張感を加えられ、物語の切迫した展開にもマッチしたものとなった。最近では、最新のIMAX映像の比率が通常よりも縦長に先祖返りしているが、私自身、それとは異なる感触で、久しぶりにスタンダード(に近い比率)の魅力を存分に味わえた。

 また、各シーンではほぼ必ずといっていいほど、黒い色が入るようにコーディネートされている。これもおそらく、オリジナルのモノクロ画面からインスパイアされたものであり、同時に、物語のなかで絶えず漂っている、濃い“死”のイメージを連想させようとする試みであるだろう。そしてこれもまた、ビル・ナイの燻し銀の佇まいとともに、画面に格調と“モード”な印象を与えている。特徴的なアスペクト比も含め、このような徹底した挑戦は、ハリウッドのメジャー作品ではなかなかできないはずだ。

 かつて行政機関の施設として利用されていたロンドン・カウンティ・ホールがロケ地として使用され、本作の舞台である1950年代イギリスの光景にも説得力が出ている。このように、日本の多くの市庁舎よりもはるかに豪華で優美な庁舎が映し出されたことで、行政機関の敷居の高さや厳格さが強調され、下水が漏れ出している下町との対比が効果的なものとなっている。本作がイギリス映画であることが、ここではさまざまな点で長所に転じているといえよう。

 しかし、オリジナル『生きる』で最も際立っていたのは、やはり重いテーマを持った脚本ではないだろうか。カズオ・イシグロが、それを新たに手がけることが伝えられたことで、映画の権利者の心は動かされ、許可に至ったというのだ。それだけに、名作映画の脚本を引き受ける重圧は、ことのほか大きかったはずである。

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