“カンフー映画”の奇跡を起こした『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

 明らかにアナルプラグの形をしたトロフィーを尻に挿入してカンフーする映画があったとして、それがアカデミー賞作品賞を獲るなんてことは考えられるだろうか? そんなことはもちろん、誰もが鼻で笑うような夢物語だ。だが素晴らしいことに、第95回アカデミー賞で作品賞をはじめとして最多7部門を制覇したのはアナルプラグの形をしたトロフィーを尻に挿入してカンフーする映画であり、その名を『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』といった。

 カンフー映画がアカデミー賞を総なめする時代へようこそ。それもアナルプラグを尻に挿入しているいるようなやつ。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は栄えある怪映画であり、愚直で力強い優しさの映画であり、誉れ高きアカデミー賞受賞映画であり、そして愛すべきカンフー映画であった。

 とはいえ、カンフー映画の定義はなんだろうか。基本そこらへんの境界線は曖昧で構わないが、最低限、主演俳優がそれなりにカンフーの技術を収めていると望ましい。つまり、主演の俳優が撮影日の時だけムキムキでセクシーになりすぎることに執心するようなやつではなく(そういった映画ももちろん大好き)、常日頃から人を殴ろうと思えば殴ることができる技術を修めている俳優のことだ。本作の主演を務めるミシェル・ヨーは、『皇家戦士』(1986年)や『ポリス・ストーリー3』(1992年)をはじめとして香港映画が最も過激だった時代を最前線で駆け抜けた伝説的アクション俳優であり、本人がそう語るように、自分のスピーチを邪魔するような音楽を流すやつは簡単にぶちのめすことができる。

 また、本作でアカデミー賞助演男優賞を受賞したキー・ホイ・クァンは『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)や『グーニーズ』(1985年)の子役だけではなく、90年代の格闘アクション映画への出演や『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』とマルチバースSFカンフー映画というジャンルを同じくする記念碑的名作にして、125人のマルチバースのジェット・リーがカンフーで殺し合うという常軌を逸したプロット(劇中で実際に戦うのは最後の二人だけ)と有史以来最もクールな結末を描いた映画として『午後のロードショー』(テレビ東京系)に青春を捧げた少年少女たちの心にカンフーを刻み付けた『ザ・ワン』(2001年)でアクションコレオグラファーのアシスタントを務めたことなどで知られている(なお、調べた限り午後のロードショーで『ザ・ワン』はそれほど放送されていない)。

 不遇の時代を多く過ごしたキー・ホイ・クァンだが、くたびれた中年男性の必須アイテムである腰に装着したウェストポーチをヌンチャクのように扱うアクションを披露し、その果てにアカデミー賞助演男優賞を受賞した姿を見れば、彼の人生に無駄なことはなにひとつなかったのだと思える。……つまり、主演から助演まで“動ける人”が揃っている『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、まごうことなきカンフー映画なのだ。

 だが真に優れたカンフー映画とはただ俳優の身体能力が優れているだけではない。その肉体表現によって、拳で感情を伝える映画のことだ。つまり、カンフーアクションにスリルがあるだけでなく、エモーショナルがなければならない。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』がそのような映画であることは、本作を既に観賞した者にとっては言うまでもないだろう。そしてカンフーアクションでエモーショナルを発露するにはただ俳優のカンフーと演技力が優れているだけでなく、監督やアクション監督による武術に対する造詣の深さや、カメラワークや編集の巧みさが必要となってくる。それらがすべて揃ってはじめてエモーショナルなカンフーアクションが実現するのだ。肉体的躍動と暴力的であることの興奮とスリル。それを制御するカンフーという機能的な美しさ。そして感情表現と物語と演出が交差する瞬間こそが、エモーショナルなカンフーアクションなのである。

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