『BLUE GIANT』がアニメーション映画化された意義 ジャズの演奏シーンに込められたもの

 音楽、青春を描いたアニメーション映画として、ひとつ次元の異なる作品が完成したという印象だ。石塚真一の漫画を原作に、“音”と“動き”を新たに表現した劇場アニメーション『BLUE GIANT』は、アニメファン以外にも、多くの観客を惹きつける力のある仕上がりとなっている。

 ここでは、そんな本作が映画化された意義や、達成したものを考えながら、日本の映画、アニメーションがジャズを題材にすることについて考えていきたい。

 「オレは世界一のジャズプレイヤーになる」と志し、仙台の広瀬川の河川敷で、日々テナーサックスを吹き続けてきた高校生、宮本大(みやもと・だい)。その夢を本格的に始動させるため、卒業後に東京にやってきた彼が、同郷の玉田俊二(たまだ・しゅんじ)や、若手ピアニストの沢辺雪折(さわべ・ゆきのり)とともに18歳の若手バンド「JASS」を結成し、日本有数のジャズクラブでの演奏を目指すというのが、本作の物語だ。

 本作で重要なのは、とにかくジャズの演奏シーンである。ストーリーやキャラクターの魅力を見せながら、観客にライブならではのグルーヴや高揚を擬似的に体験してもらい、多くの人にジャズの魅力を知ってもらいたいという意図が、明確に伝わってくる。

 単行本で原作者も賛辞を寄せているジャズピアニスト上原ひろみの作曲と、彼女自身の演奏に加え、精鋭の中からオーディションで選ばれたサックス奏者の馬場智章、そしてmillennium paradeのドラマー石若駿によって、原作では表現し得なかった「JASS」の音楽がかたちづくられた。それを劇場の音響設備で味わえるというのが、本作がTVシリーズでなく映画作品として製作された大きな意義だといえるだろう。

 ジャズ演奏シーンでは、アニメーションによるビジュアル部分にも見どころがある。部分的にCGを利用しつつ、演奏者たちのリアリティある躍動が表現されると同時に、場面によっては、ブラックホールまでぶっ飛んでいくような感性の飛躍と、1920年代のフランスで作られていた、アニメーションと音の融合を目指した実験的表現「純粋映画」にも近づくような演出も一部で見られる。これらの仕掛けが、さらに登場人物たちのストーリー上の背景と絡み合うことで、実際のライブではなかなか実現できない深度で感情移入をもたらしている。

 アニメーションと音楽の融合というのは、無数のアニメ作品や楽曲のプロモーションビデオでも目指されてきたことだが、このような高いレベルで複合的に演奏者たちを含んだ姿を表現し、その場の空気感をも味わえるほど五感にうったえかけてくる体験というのは、多くの観客にとって、いまだかつて味わったことのないものなのではないか。もうこの時点で、本作は成功作だといっていいだろう。

 原作となった漫画には、高校時代の仙台でのさまざまなストーリーが描かれているが、本作ではそれが潔くカットされる。もちろん、それには映画の尺のなかに長い内容をまとめるという事情が影響しているということは言うまでもない。そこで本作は、主人公・宮本大の鬼気迫るパワフルなソロ演奏シーンによって、仙台での彼の必死な努力を凝縮させてしまうという、洒脱な省略を成功させている。これは脚本、演出上の達成だが、同時に音楽そのものの説得力があってこそ成立している部分ともいえる。これもまた、ライブシーンを魅力の中心に据えていることが理解できる部分である。

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