『ハウルの動く城』スタジオジブリが描く“愛” 愛を与えるソフィーと愛を知ったハウル
それは、湖畔のように澄んだ愛――。
各地に突然現れる動く城の主であり魔法使いのハウルと、家族を愛し慎ましやかに生きる少女ソフィーが出会い、恋に落ちるさまを描いた映画『ハウルの動く城』。今年7月に最新作『君たちはどう生きるか』の公開を控えたスタジオジブリによる大ヒット作品だ。
本稿では主に、イギリスの著名なファンタジー小説を原作とする本作を大人が観た時に特に感じ入るであろう、物語における「愛」について綴っていきたい(英文学、特に英児童文学には「複雑な愛」というものをテーマに据えた作品に名著が多いのだが、この場で語るのは割愛する)。
定住する場所を持たずあてもなく放浪し、美女の心臓を食らうという噂の立つハウルは、魔法という全能の力とそれを使いこなす才能を持っていながら、パーソナルな部分ではやや不完全な部分が垣間見える人物だ。作中では荒地の魔女によって老婆へと変身させられてしまったソフィーが掃除婦として城に潜り込んだ際、ハウルの髪を金髪から黒髪へと変えてしまうハプニングが起こる。ハウルはひどく落ち込み、身体から粘液を出して陰の気を呼び寄せてしまう。また王宮仕えの魔法使いであるサリマンと師弟関係にあったハウルだが、今では身を隠し、彼女に見つからないよう自室を魔除けのまじないで埋め尽くしている。
サリマンはハウルを有能な弟子として育てた反面、親愛のような情は与えずに接してきた。ゆえにハウルは「愛を知らない」まま成長し、悪魔カルシファーに心臓を明け渡してしまう。この場合の心臓とはつまり人間のコアの部分、感情のメタファーとも捉えることができる。
以上を踏まえてハウルを演じた木村拓哉の演技に注目してみたい。登場時から中盤に至るまではあくまで落ち着きのある静かなトーンで演じているのに対し、ラストシーンではまるで別人のように明るく快活な声に様変わりする。これは心臓を取り戻し、感情という色彩を帯びた心が戻ったからなのではないかと考える。
子どものように目を輝かせながら、ソフィーを抱きしめるハウル。『ハウルの動く城』とは、愛を知らずにいた魔法使いの青年――あるいは、人間らしさを失った戦闘兵器、そして怪物――が少女によって見返りを求めない愛を与えられ、感情を取り戻し人間になる物語なのだ。
スタジオジブリが描く「愛」とは、どの作品においても宝石を切り出す前の原石のような輝きを呈している。『耳をすませば』では自分たちの未来に焦燥しながらも互いを励まし純粋に惹かれ合う男女を、『風立ちぬ』では男性に生涯をかけて寄り添う女性という構図のまるで古写真のような奥ゆかしさを、『思い出のマーニー』では、恋人でも友達でもない、親密で名前の付けられないシスターフッドを。
『ハウルの動く城』のソフィーもまた、誰に対価を要求するわけでもない、ただただ純粋で大きくたおやかな愛をハウルに向ける。ハウルの母親だと偽ってサリマンに会った際、ハウルに対し「心を失くした」と言う彼女に「あの人はまっすぐよ」と返すソフィーは、ハウルのことを話すたびに老婆から少女へと若返る。これは紛れもなくソフィーが抱く愛が老いた身体(呪い)を内側から跳ねのけ、愛のみで生きんとするエネルギーに満ちた瞬間である。