『鎌倉殿の13人』を“生きた”人々に思いを馳せて 現代へと繋がる“希望”を描いた最終回

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合)が最終回を迎えて、1週間が経った。全くもってロスである。ここまで1年通して満足度が高い作品もそうないが、特に素晴らしかった最終回から、全体を見通してみたい。

 小栗旬演じる主人公・北条義時の最期は、予想だにしない壮絶な最期だった。大河ドラマは、1年を通して実在した1人の人間の一生を描くことがほとんどである。だからラストは、死ぬことによって、老いて自由が利かなくなった肉体もしくは、戦いでボロボロになった肉体と精神を捨て、若かりし頃、あるいは幼少期の姿に戻っていく形で希望を見せて終わることが多い。それによって「死」を「解放」と思う/思いたいというのが、1年を通して主人公に感情移入し、その人生を見守ってきた視聴者の思いであり、それは各々の人生を生きている私たち自身が、やがて辿り着くことになる「死」に対する「そうありたい」という願望であるとも言える。

 だが、本作はそれをしなかった。視聴者が最後に観たのは、1話前である第47回において「かっこよく」死を選ぼうとしていた彼が、床を這ってまで生にしがみつこうとする姿であり、彼の絶命と共に暗転するラストだった。だから本作を語るには、彼がどう死んだかではなく、どう生きたかを語らなければならない。

 長く生きるということは、苦しいものである。「こうなりたい」とかつて思った人生をそのまま全うできる人はそういない。それでも人は、少しずつ理想とは違ってしまった自分の人生を抱えながら長いこと生き永らえていく。鏡に映った自分の顔を、時折見て見ぬふりをして。「こんなはずじゃなかった」という思いを頭の端から追いやって。

 運慶(相島一之)が作った「神仏と一体となった」義時の像は、得体の知れない、醜いものだった。でも、「これがお前だ」と言わんばかりに突きつけられたそれは、紛れもなく彼が見たくなかった「己の姿」だったのだろう。鎌倉のため、北条のため、息子・泰時(坂口健太郎)のため、その時その時やるべきことをしてきた彼は、気づけば「この世の怒りと呪いを全て抱えて」変わり果てた姿になっていた。だから、思わず彼はそれに斬りかかり、それが駄目ならいっそ燃やそうとしたのではないか。

 また、三谷幸喜脚本が描いた北条義時の死は、史実上囁かれている「毒殺説」を軸に、「毒が薬となることもあり、逆に薬が毒となることもある」ことを描いたものだと言える。のえ(菊地凛子)が義村(山本耕史)に依頼して取り寄せ、飲ませた毒は、結果的にのえと義村の隠していた、義時に対する本音を導き出すことになる「薬」となった。それによって義時とのえの歪んだまま続いていた夫婦関係に一応の終止符が打たれた。一方の義時と義村の、気づいたら歪みきっていた友情は、一度「殺し殺され」をすることによって元に戻り、かつての2人の関係性を取り戻した。そして最後に、政子が「義時の命綱である薬を飲ませない」という選択をすることで、薬は転じて「毒」となり、主人公の「かっこいい死に様」を封じる。

 物語は1人の男の生を描き切って終わったが、その生の終わりは、決して全ての終わりを示したものではない。本当の物語の主人公は、鎌倉という土地そのものでもあるからだ。最終回において、後鳥羽上皇(尾上松也)が文覚(市川猿之助)に引き連れられるように隠岐へと流された後、義時と泰時と時房(瀬戸康史)の場面に切り替わる直前の、鎌倉の俯瞰の図、それこそが中心だった。

 本作は、義時、そして「ニセモノの髑髏」が象徴する権力の頂「鎌倉殿」を巡って死んでいった13人、もっと言えばそれ以前に死んだ頼朝(大泉洋)らの命を養分にして栄えていく土地・鎌倉を描いた物語でもあったのではないか。そして、もっと広義にとらえると、大きな歴史の流れの中で、それぞれの信念を曲げずに生きた人々に思いを馳せる物語だったとも言える。

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