“生きること”の意味を問う『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』は劇場で体験すべき必見作

 ストップモーション・アニメーション映画『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』は、必見の作品だ。Netflixアニメーションとして製作されている本作は、現在劇場で先行的に公開されていて、Netflixでの配信を待っている状態だが、余裕のある方は、ぜひとも劇場に駆けつけてほしい。この名作をスクリーンで観る機会を逃すことは、多くの映画ファン、アニメーションのファンにとって大きな損失だと考える。

 カルロ・コッローディによる『ピノッキオの冒険』は、およそ140年も前から、現在も読み継がれている稀有な児童文学だ。しかしその物語は、映画史に輝く名作として愛されているディズニー・アニメーション映画『ピノキオ』(1940年)が、より広く知らしめたといえる。

 この、誰もが認める決定版といえる作品がありながら、それでも多くの映像化作品が製作され、近年も『ほんとうのピノッキオ』(2019年)、ディズニーによる実写映画版『ピノキオ』(2022年)などの映像化作品が公開されている。しかしここで、本当の意味でディズニー・アニメーション版に比肩する傑作が登場することになるとは、思いもよらなかった。それが、本作『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』なのである。

 本作は、Netflixアニメーションと、歴史あるジム・ヘンソン・カンパニーが中心となって製作している。スタッフの顔ぶれを見ると、ストップモーション・アニメーションの代表的な製作会社「ライカ」で経験を積んだ者たちも多い。

 さらにタイトルに冠されている、言わずと知れた現在のダークファンタジーの第一人者ギレルモ・デル・トロが監督・脚本を務めているのはもちろんのこと、ストップモーション・アニメーションのスペシャリストであるマーク・グスタフソンが共同監督、TVアニメ『アドベンチャー・タイム』の脚本家パトリック・マクヘイルが共同で脚本を書いているのが本作なのだ。

 その内容は、さまざまな点でオリジナリティに溢れている。イタリアを舞台にしていることは同じだが、19世紀を舞台にしていた原作とは異なり、時代を「国家ファシスト党」が席巻する、おそらくは1930年代へと変更し、さらには新たに加えられた、木の人形にまつわる「死」と「不死」のテーマをダークに描き出していることが最も特徴的だ。

 ピノッキオのデザインも、まさしく木の人形であることを印象づける質感で仕上げられ、とくにその登場時は、生みの親のゼペットですら恐怖する、不気味な部分を持つクリーチャーとして表現されている。しかしギレルモ・デル・トロ監督はこれまで、人間ではない存在や、差別される存在を、とりわけ深い愛情をもって描いてきた。ピノッキオもまた、そのような存在から、観客が愛さずにいられないキャラクターへと変化していくことになる。

 カルロ・コッローディの原作では、ピノッキオは人間の身体を持つ“本物の子ども”へと変身する。そして、以前の自分の木の身体を蔑むような態度すらとる。しかし近年ピノッキオを扱った作品には、その身体に“他の人とは異なる特徴”という要素を反映している場合があり、本作もまた、その意味で木の身体という特徴を軽視せずに扱っている。

 驚かされるのは、イタリアの松の木という頑丈な身体を持ったことで、おそらくは半永久的に死ぬことがないという利点と、時代を超えて生き続ける重荷を背負ってしまっているという過酷な運命を描いている部分だ。その描写は、幾度となく現れる暗い死の世界と、その住人たちによって象徴されている。「死」は、人間だけでなく生き物にとって、コントロールできない領域にある厳格な仕組みだ。ピノッキオがそのままならない世界のなかで、何を学び何をつかみ取るのかを描くことで、本作はピノッキオの物語の可能性を深掘りしていく。

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