『ジェラール・フィリップ 最後の冬』時代に先駆けた夭折のスター その新しさを再発見する

 1959年11月初めのパリ、『勝手にしやがれ』試写の夜、“新しい波”のなかでもとびきり新しい映像で「若い世代の感情を表現している」と確信させたゴダールが、異様な熱気に包まれて黒眼鏡の下の顔を紅潮させる様を見届けた秦早穂子氏。“神”の才能をいち早く認め日本に送り届けた最初の1人はそのゴダール追悼記事の結びの段に簡潔で、だからこそ胸に響く一文を置いている。

「11月25日。ジェラール・フィリップ死す。36歳。時代は変わる」
(『キネマ旬報』22年12月上旬特別号)

 時代は変わる。新しい波と入れ替わるように訪れたその早すぎる死。歴史の節目を深く思わせる存在として、秦氏がジェラール・フィリップの名を挙げているのは、やはりなんとも感慨深い。そのフィリップの死から11年後、夭折のスターの出世作『肉体の悪魔』の原作者ラディゲを愛したあの三島が、他ならぬ11月25日、フィリップの命日に逝ったのだと思うと感慨はいっそう深いものになるのだが、今は感傷を退けてフランス映画の時代の変わり目という点に視線を戻して注目してみたい。

 ゴダールを、そうしてトリュフォーを筆頭とするヌーヴェル・ヴァーグの到来。その新しさの主張はフィリップの主演作をものした文芸路線の監督たちを“良質の伝統”“フランス映画のある種の傾向”と若さに任せて一蹴し、フィリップの演技もまたやり玉にあげてみせた。

 今、改めて振り返れば、フィリップは権威を退け新たな扉を開こうとする若者たちならではの向こう見ずな勢いのとばっちりを食らったともいえそうで、もう少しその命が長く続いていたならば新しい波との共闘も夢ではなかったはず――と、遅れて生まれてきた観客はタイミングの悪戯にいつもながらに残念な想いを嚙みしめることになる。

 もっとも、そのフィリップもまた第二次大戦後の新たな青年像を体現する存在として時代の節目に登場していたのだから、「時代は変わる」のループは今更ながらにスリリングだ。

 フィリップの娘婿でもある作家ジェローム・ガルサンによる評伝をもとにマリリン・モンロー、ロミー・シュナイダー、ジェーン・マンスフィールド等を題材にしたTVドキュメンタリーで知られるパトリック・ジュディが監督した『ジェラール・フィリップ 最後の冬』は、そんな時代の節目への眼も息づかせつつ、舞台と銀幕をまたにかけ一世を風靡したスターの公私の顔を誠実に追ってみせる。

 肝臓がんと知らぬまま病床で闘った最後の季節に焦点をあわせつつ、映画は家族と過ごした南仏での日々、ホームムービーに刻まれた素顔を掬い上げ、そこに演技する存在としての自恃を脇に置いたひとりの人としてのフィリップが鮮やかに立ち現れてくる。

 その人となりに関しては、ジュディの映画でも紹介されている53年の来日時、熱狂するファンの向こうに垣間見た好ましさの印象を記録する双葉十三郎のエッセイ『素顔のジェラアル・フィリップ』(『スクリーン誌』54年1月号)を参照しても興味深い。

 「フランス映画の一使徒」として舞台あいさつにのぞむ「心情の立派さ」にも増して「心をうつたのはその人柄」、「やわらかい善意に満ちた微笑」との記述の底に震える偽りのない感動には思わず惹きこまれずにいられなくなる。夫人アンヌと帰りの車を待つ姿に、「わずか1、2分だったがジェラアル君は微笑みながら彼女に話かけていた。その微笑みと目のやさしさといったら!」「こんなやさしい眼を持つことができるひと、こんなやさしい眼でみつめられることができるひと」にほとんど神聖でさえあるような幸福を見たと続く言葉はまさにジュディの映画に記録された夫妻の姿と響きあっていくだろう。

 5歳年上の離婚経験者で子供もいる民俗学者アンヌをフィリップは生涯の伴侶に選び、彼女の助言に耳を傾けた。病床の夫を写した写真、レンズの向こうの夫人に向けられたその目が湛えるやわらかな光。妻との対等な関係は、美しく時代に先駆けたカップルの像を差し出して、銀幕のフィリップとはまた別の、地に足つけた存在の磁力を感じさせる。

 そういえば、双葉の記事に先立って『スクリーン』誌(52年11月号)が、『肉体の悪魔』のフィリップと『陽のあたる場所』のモンゴメリー・クリフトとを並べ、第二次大戦後の時代を呼吸する俳優として、その新しさを確認していたこともこの際、想起しておきたい。

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