『鎌倉殿の13人』は“器”を問う物語に “そうするしかなかった”人物たちが生む悲劇

 『鎌倉殿の13人』は「そうするしかなかった」が続いていくドラマである。そして、「そうするしかなかった」ことが、悲劇を生んでいった。

 大泉洋が演じた源頼朝もそうだ。彼は、幼い頃に平家に父を殺され、いつかは復讐したいという思いがあった。しかも、その人生は、身内がおらず一人であったし、何度も死を目の前にしてきた。だから、生存を確立したいということが、第一にあったのだろう。伊東祐親(浅野和之)の娘の八重(新垣結衣)との間に子供を儲けたことも生存のためだったのかもしれないが、そのことで命を狙われ、北条の後ろ盾を必要とし、政子(小池栄子)と夫婦になった。

 政子との夫婦関係のためには、愛情がなくなったわけではないのに、八重に冷たくふるまうこともいとわない。頼朝の後ろ盾がなく、誰かに頼るために、人心掌握をして生き延びる態度というのは、どちらかというと、女性が生きていくためにせざるを得なかった選択を思わせるところがある。

 ただ、彼にとっても、「そうするしかなかった」のだと思う。第2回の最後で北条義時(小栗旬)こと小四郎に「出て行ってください、北条から」と言われると、頼朝は、「北条の婿となり、北条を後ろ盾として悲願を成就する。それゆえ、政子殿に近づいたのだ」と小四郎にだけ心の内を打ち明けることで、小四郎の心を動かす。悲願とは、「憎き清盛の首をとり、この世をただす」ことだという。

 この発言も、本心からわきあがったことではなく、生き延びるために「そうするしかなかった」のではないかと思える。そう思えるのは、頼朝を演じる大泉洋が、頼朝には、人を鼓舞したり自分の内心を知られないために、いつも大げさに演じているようなところのある人物である、という演技をしていたからこそである。

 頼朝というのは、常に「頼朝」を演じている人物だったのかもしれないし、その演技こそが「そうするしかない」ことを示していたのかもしれない。頼朝のセリフにも「嘘も誠心誠意つけば、まことになるのだ」と言うものがあったのが象徴的である。

 小四郎の場合はどうだろう。小四郎はそもそも戦には興味のない、どこにでもいる若者のひとりであった。兄の三郎(片岡愛之助)は平家をつぶしたいという野心があったが、小四郎はそんなことには興味がなく、そのままでも十分幸せではないかと思っていた人物だ。政治に関心がなく、自分の半径数メートルさえ幸せであればいいという、ともすれば事なかれ主義のような部分もあった。

 しかし、なにかといろんなことが見えてしまい、頼まれると嫌と言えない彼は、頼朝の起こすあれこれを困り顔でサポートしていくうちに、引き戻せないところまで来ていた。

 このドラマでは、鎌倉殿にしても、御家人たちにしても、その人に器があるかないかを問う場面が何度も出てくる。器というのは、実行力であったり、カリスマ性であったりというものなのだと思うが、それが足らないものが、自分の器位置以上のことを求めると、悲しい結末になってしまう。

 小四郎の前には、さまざまなことが起こるが、その場で最も適当な答えをだし、実行しているうちに、つまり「そうするしかなかった」ことの連続により、執権になるという「器」になってしまった。そして「器」となってしまった小四郎からは、以前のような素朴さの多くは消えてしまっていた。

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