『ピノキオ』実写版と1940年版の決定的な違いは? ロバート・ゼメキスの職人技が随所に

 しかしながら中盤を過ぎたあたりから一気に盛り返していくあたり、ロバート・ゼメキスという監督の底力を感じる。ストロンボリの鳥籠から抜け出し、ひょんなことからプレジャーアイランドに連れていかれるピノキオ。1940年版では遠景と左から右への移動で描かれた大勢の子どもたちの島への上陸が、奥から手前、左から右、手前から奥へと縦横無尽かつ躍動的に映ったと思えば、ジェットコースターに水しぶきに花火、さらにはボートごと上空へいざなわれるという贅沢さで描写される。それまで平坦だった画面が嘘のように、一気に自由さが生まれるのだ。しかも島のなかで半ば狂信的に暴れ回る子どもたちの描写に思い出すのは、ゼメキスの前作『魔女がいっぱい』のあの恐ろしいラストシーン。その延長線上にあるのではと考えるとなかなか鳥肌ものだ。

 そしてランプウィックがロバに変わる瞬間のショットは、1940年版では壁に映ったピノキオとランプウィック、両者の影で描写していたが、今回はピノキオの怯える表情を実像でとらえながらより象徴的に見せる。そのあたりは、恐ろしいものをより恐ろしく、正直に見せようとするゼメキスの職人監督たる所以が発揮されており、それは当然クライマックスのモンストロ(今作では単なる巨大なクジラではなく、厳めしい海獣として在る)についても同様だ。クジラの身体に備わった大ダコのような無数の脚。あの造形をもっと観たいという気持ちにさせられる。

 つまるところ、この実写化の肝は『ピノキオ』という物語に必要不可欠であったラストの一連を、極めて曖昧なかたちにとどめたことにあったのかもしれない。1940年版では瀕死の状態になったピノキオにブルー・フェアリーの光が射し、目を覚ますと本物の人間の子どもになっているという、いささか受動的なものだった。しかし今回は、ピノキオとゼペットが連れ立って自ら光の方へと歩いていく。しかも帰る道を知っているのはピノキオであり、彼が親であるゼペットを率いていく。親の期待に応えるように本物の人間の子どもになりたいと願っていたピノキオに、他者とは違うことを誇りに思う心と、自身が真になりたいものになる自由が与えられたというわけだ。

■配信情報
『ピノキオ』
ディズニープラスにて独占配信中
監督:ロバート・ゼメキス
出演:トム・ハンクス、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ベンジャミン・エバン・アインワース
©2022 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved
公式サイト:https://disneyplus.disney.co.jp/program/pinocchio.html

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