70年代をフィーチャーした新たなスラッシャー映画 『X エックス』のフレッシュな“恐怖”

 作家性が強くエッジの立った作品を次々に世に送り出し、いまや映画界になくてはならない製作・配給の一大ブランドとして定着した、「A24」。そんなA24が新たに製作した、“スラッシャー映画”『X エックス』がアメリカで春に公開され、とくにクリエイターや批評家から絶賛され、メディアでも注目を浴びている。

 ここでは、なぜ本作『X エックス』がそんなに評価が高いのか、そして何が描かれているのかを考えながら、ジャンル映画として一つの時代を決定づけることになるかもしれない本作の魅力の源泉や、全体を包み込む不穏な雰囲気の正体が、どこにあるのかを考えていきたい。

 舞台となるのは、1979年、アメリカはテキサスの農場だ。そこにやってきたのは、自主映画の若い製作スタッフとキャストたち。低予算のため、プロデューサーと監督、録音スタッフが1名、そしてキャストが3人だけのチームである。彼らは、目的を隠したまま農場のオーナーである老夫婦から小屋や納屋を借り受け、そこで「農場の娘たち」と名付けたポルノシーンを撮影し始める。しかし、うまくいっていたはずの撮影は、おそろしい惨劇を呼び寄せる……。

 マンゴ・ジェリーの70年代のヒットナンバー「イン・ザ・サマータイム」の曲に乗せ、行楽気分で撮影チームがテキサスの農場へと向かうところから、本作の物語は動き出していく。ミア・ゴス(2018年版『サスペリア』)が演じるのは、アメリカのテレビドラマ『ワンダーウーマン』(1975年〜1979年)のリンダ・カーターのようなスターを目指すストリッパーで俳優の“マキシーン”。かつてポルノ映画『ディープ・スロート』(1972年)が社会現象になるほど大ヒットし、出演者のリンダ・ラヴレースが脚光を浴びたように、マキシーンもまたポルノを足がかりに、世に名を残す存在になることを夢見ている。

 そんなマキシーンと恋人でもある、プレイボーイのプロデューサー“ウェイン”(マーティン・ヘンダーソン)、マリリン・モンローを思わせるブロンドの蠱惑的な俳優ボビー=リン(ブリタニー・スノウ)、ベトナム帰還兵で精力絶倫な男性俳優“ジャクソン”(スコット・メスカディ)、そして、学生にして監督を務める芸術肌の“RJ”(オーウェン・キャンベル)、同じく学生で録音担当の“ロレイン”(ジェナ・オルテガ)が、『農場の娘たち』のスタッフ、キャストたちである。彼らはそれぞれに恋愛や肉体関係にあり、映画づくりに情実が入り混じった状態にある。

 ホラー映画のサブジャンルとして、連綿と続いてきた“スラッシャー”のセオリー(お約束)として、この面々が次々に惨殺されていくことは、説明しなくとも明らかだろう。ただ本作は、そんなお決まりの展開をそのまま描いているにもかかわらず、非常にフレッシュな印象を与えられるのである。

 サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督の歴史的名作『サイコ』(1960年)が源流にある同ジャンルにおいて、そのセオリーをひとまず完成させる決定作となったのは、トビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』(1974年)といわれる。その後『ハロウィン』(1978年)、『13日の金曜日』(1980年)、『キャンディマン』(1992年)などが、それぞれの時期を代表する映画として名を残しつつ、ジャンルとしての洗練と定型化を進めることとなった。

 なかでもウェス・クレイヴン監督の『スクリーム』(1996年)は、監督の自作を含めた、ここまでのジャンル史のセオリーそのものを題材として、それをユーモラスに俯瞰する“メタフィジック”な視点をとり入れた画期的な一作だった。その趣向は批評家や観客から高く評価されたが、これ以降スラッシャー映画は、シリーズ作品が次々に製作された事情もあいまって、作り手も観客も、どこか俯瞰的な目線を持つことから逃れられなくなってしまったように思える。『ファイナル・デスティネーション』(2000年)から『キャビン』(2012年)あたりにかけて、作り手も観客も半ば開き直って、映画の“つくりもの”を“つくりもの”として楽しむフェーズに入っていたといえよう。

 行き着くところまで行って、ある意味陳腐化してしまったといえるスラッシャー映画だが、ここで、鬼才アダム・ウィンガード監督が突破口を見つける。歴史がジャンルを陳腐化させたのであれば、逆にジャンルの歴史を遡っていけばいいのである。『サプライズ』(2011年)、『ザ・ゲスト』(2014年)などの魅惑的な作品群でウィンガード監督が段階的に洗練させていったのは、スラッシャーが若者たちの娯楽として隆盛した80年代要素への回帰だ。持ち前の傑出したセンスで、音楽や演出に80年代風の美学を反映させることによって、荒廃に行き着いてしまったジャンルに、味わいを楽しむ潤いが生まれたのである。

 そんなアダム・ウィンガードと同世代で、まさに1980年代を舞台にした『The House of the Devil(原題)』(2009年)など、一部の作品で近い道を辿っていたのが、本作『X エックス』の監督であるタイ・ウェストだった。注目すべきは、本作が70年代をフィーチャーしているという点である。そう、ウィンガードが80年代にこだわるのに対して、ウェストは『悪魔のいけにえ』が公開された70年代にまで遡ったのだ。この前提として、70年代アメリカのカルト宗教事件をモチーフとしただろう『サクラメント 死の楽園』(2013年)を手がけた経験が、ウェスト監督にあるいはインスピレーションを与えることになったのかもしれない。ともあれ、彼らの年代にとって、その時代はもはや郷愁の範疇ではない。本作からフレッシュな印象を与えられるのは、監督が実際には体験し得なかった未知の時代を映し出しているからなのではないか。

 『悪魔のいけにえ』はカルト映画の名作として知られているが、その評価の理由は、内容が常軌を逸していた部分があったからこそだといえよう。人間に金属のフックを刺して生きたまま吊るしたり、死体をアートにして楽しむ要素など、いまでこそ時代のアイコンとして親しまれているところがあるが、公開当時はどこに行き着くか分からない、理解しきれぬ不気味な異物感に満ち溢れていたはずである。それだけに少しでも間違えれば、不快な異物として時代のなかに埋もれていたとしても、全くおかしくはない。もしそうなっていれば、現在のスラッシャー映画の進化はなかったはずである。

 本作『X エックス』のタイトルは、1968年から1990年にかけてアメリカ映画の利用されていた年齢制限「Xレイティング」(17歳以下鑑賞禁止)を示しているという。つまりここでは、わざわざ70年代に使用されていた制度を持ち出し、さらに当時のカルト映画が極限までゴア表現などの過激さを攻めようとした、その勇敢なスピリットを継承するという宣言になっていると考えられる。

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