『ストレンジャー・シングス』シーズン4のテーマを紐解く なぜホラー色が強まったのか?
※本稿には『ストレンジャー・シングス 未知の世界』シーズン4 Vol.1(第7話まで)のネタバレを含みます。
ついに、あの少年少女が帰ってきた。いや、もう少年でも少女でもないのかもしれない。高校1年生にもなり、大人になるために必要な坂道を登ってきた私たちの愛するキャラクターにとって、ちょうど残酷な峠道に差し掛かったというのが今シーズンの印象だ。
『ストレンジャー・シングス 未知の世界』シーズン3のラストでイレブン(ミリー・ボビー・ブラウン)はウィル(ノア・シュナップ)、ジョナサン(チャーリー・ヒートン)、ジョイス(ウィノナ・ライダー)のバイヤーズ一家に引き取られ、一緒にカリフォルニア州・レノーラに引っ越すことになってしまった。
マイク(フィン・ヴォルフハルト)とダスティン(ゲイテン・マタラッツォ)、ルーカス(ケイレブ・マクラフリン)にマックス(セイディー・シンク)、ナンシー(ナタリア・ダイアー)、スティーブ(ジョー・キーリー)らはホーキンスに留まり、ゲートを閉じる際の爆発に巻き込まれて死んだと思われたホッパー(デヴィッド・ハーバー)も生きてロシアにいる。本作はこのように、最初から3つの(話が進むと4つの)場所でそれぞれのキャラクターたちによる物語が、毎話細かく交差されながら進行するのが特徴的だ。そして特徴といえば何より、未だかつてないホラー描写である。
よりダークで残酷になった描写と80年代ホラーへのオマージュ
なんと言っても特筆すべきは、本作のヴィランことヴェクナの存在。これまでデモゴルゴン、マインド・フレイヤーと続いてきた“裏側の世界”の脅威となるヴェクナは、人のトラウマや罪悪感に付け入る。呪いをかけてから決まった日数が経つと、念力で体を曲げて呪い殺すやり方はまさに『リング』の貞子のようだ。チアリーダーのクリッシー(グレイス・ヴァン・ディーン)をはじめとするターゲットに、悪夢や嫌な幻聴/幻覚を見せて衰弱させる手口は、『エルム街の悪夢』のフレディ・クルーガー、『IT/イット』のペニーワイズを彷彿とさせる。ビジュアル面に関しても、ヴェクナの鉤爪や爛れた肌はフレディのオマージュだ。もともと、ショーのクリエイターであるザ・ダファー・ブラザーズが本シーズンを“『ストレンジャー・シングス』的な『エルム街の悪夢』”と事前に表現していたように、本作にはあちこちフレディ的な要素が散りばめられている(フレディを演じた俳優ロバート・イングランドの出演もその一つだろう)。
『IT/イット』的といえば、ホーキンスという街そのものがデリー(『IT/イット』の舞台となる街)のようになってきていることにも言える。シーズン3のスターコートモール事件や、シーズン2で明るみに出たバーバラ(シャノン・パーサー)殺人事件など、平和だったはずのこの街も気がつけば子供がたくさん死にまくっている。そういうことで、いよいよ今シーズンではダスティンが「ホーキンスは“呪われた街”と言われている」と言うように、人々の間で噂がまことしやかに囁かれるようになってしまった。
主にシーズン2まではホーキンス研究所の人間が“裏側の世界”関連の事件を隠蔽してきたのだが(スターコートのことも、火事として処理されている)、研究所が解体されてからは誰もその尻拭いをしなくなった。そのため、このシーズン4では警察や市民がようやく奇怪な事件の存在を認知し、彼ら自身が解決していこうとするので、“裏側の世界”を知るメンバーは逆に苦労していくことに。“ヤバい街”からなぜ引っ越さないのかという問題は『IT/イット』のデリーに通じるものがあるし、この“呪われた街”という表現も『IT/イット』の著者スティーヴン・キングの2作目の長編作であり、のちに映画化もされた『呪われた街(Salem’s Lot)を彷彿とさせる。
さらにキングといえば、イレブンがローラースケートリンクでいじめられる様子は、まさに『キャリー』そのものである。いじめを受け続けた少女がついに限界を迎え、超能力でいじめっ子に復讐をするという『キャリー』のプロットもイレブンの状況に重なるものの、何が辛いかといえばイレブンは今回能力を失ったままなので、“キャリーになれない”ところだ。そして何を隠そう、これらの著者であるキングも本作を絶賛し、『キャリー』の引用についても喜んでいる。
さて、ヴェクナに話を戻そう。彼はこれまでのデモゴルゴンなどのヴィランと違い、“話しかけてくるタイプ”だ。この変換にも80年代のホラー映画らしさを感じる。というのも、本シーズンでも名前が出てきた『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズのように、一つ前の70年代という時代のホラーアイコンは基本、話さないものが多い。『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスもそうだ。そこには、話さないからこその未知という恐怖、コミュニケーションを取ることが不可能という怖さがあった。しかし、80年代に入るとフレディにペニーワイズ、『チャイルド・プレイ』のチャッキー、『ヘルレイザー』のピンヘッドなどお喋りなホラーアイコンが増えているのだ。そういう変遷も『ストレンジャー・シングス』に反映されているのかもしれない。
ヴェクナの正体が、実はイレブンの回想シーンに登場した施設の職員ことワン/ヘンリー・クリール(ジェイミー・キャンベル・バウアー)であったことは大きなサプライズとなったが、彼がこだわる人の“トラウマ”や“罪悪感”は本シーズンに底通するテーマとも言える。
“トラウマ”や“罪悪感”というテーマとマックスの存在
今シーズンはイレブンの過去でもある、1979年のホーキンス研究所で起きた殺戮事件の様子から幕を開ける。その記憶を彼女自身はほぼ失っているものの、トラウマとなって日々のフラッシュバックに登場する。それが、アンジェラ(エロディ・グレース・オーキン)たちによるいじめに重なっているのが辛い。
そしてロシアで囚われの身となったホッパーもまた、自分が関わってきた人全てが不幸になることで自分自身を「呪い」と蔑んでいて、過去の出来事がトラウマになって彼を苦しめていることがわかる。そしてヴェクナの呪いのターゲットになった子供たちにも、過去に何らかのトラウマや、そういった体験から生まれた罪悪感を抱えていた。そんな中、今シーズンでマックスに焦点が当てられたのは納得がいくものだろう。
彼女はシーズン3のラストで兄のビリー(デイカー・モンゴメリー)を目の前で亡くしている。しかもただ亡くしただけではなく、死ぬのを見ているだけで、駆け寄って助けることもできなかった。そして何より暴力的だった兄の死が少なからず彼女の生活に“平穏”をもたらしていることも含め、心のどこかで「よかった」と思ってしまったとしたら。その、一瞬でも「よかった」という感情は、彼女自身だけが知る秘密となり、罪となる。それは誰にも気軽に話せることではなくなり、結果今シーズンの冒頭のようにマックスは彼女の抱えるものを、ルーカスをはじめとする誰かに本質的に話すことができない。だからこそ、マックスがようやく想いを打ち明けるビリーの手紙のシーンがかなり力強く、エモーショナルなものになっているのだ。
ヴェクナの呪いから逃れる時に流れる曲、ケイト・ブッシュの「Runnig Up That Hill」の「もし叶うなら、神様に頼んで彼と私の居場所を入れ替えてもらいたい」という歌詞は、まさにマックスのビリーに対する想いそのものである。そして、その曲が彼女の大好きな曲であることをルーカスが知っていたこと、ずっと側にいてくれたルーカスに「今度こそいろんな話をしよう」とマックスが元の世界に向かって走る姿。それぞれの強い気持ちが、一連のシークエンスの美しさを際立てた。