佐藤健が私たちの想いを背負って叫ぶ 『護られなかった者たちへ』が現代社会で上げた“声”

 佐藤健が叫ぶ姿を目の当たりにして、思わず拳を握りしめる。力強く握りしめる。そしてそのまま、自分の腿を打ちつけたい衝動に駆られるーー。

 第45回日本アカデミー賞をはじめ、数々の映画賞に輝いた『護られなかった者たちへ』のソフト(Blu-ray&DVD)が4月22日より発売中だ。本作は、中山七里による同名ミステリー小説を映画化したもの。東日本大震災から10年目の宮城県・都市部を舞台に、現代の日本の社会が抱える問題に人々が翻弄され、それぞれに対峙していくさまを描いている。2020年を代表するヒット作『糸』や、現在公開中である『とんび』の瀬々敬久監督がメガホンを取り、主演の佐藤とは『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(2017年)に続き2度目のタッグとなった。

 2021年10月に封切られた本作を筆者が初めて観たのは、8月下旬のマスコミ向け試写会でのこと。もちろん、公共の場で自分の腿を打つのはさすがに我慢した。しかしなぜそのような衝動に駆られたのかというと、佐藤が演じる主人公・利根泰久が直面する現実の不条理さをただ傍観することしかできない自分が歯がゆかったから。そして同時に、彼の叫びに激しく共鳴したから。昨年の夏といえば、1年延期となっていた東京五輪の開催が敢行された夏である。映画は一時期“不要不急”なものだと位置付けられていたが、あのような環境下において本作は間違いなく“必要火急”な作品だと思った。

 そんな本作のあらすじはこうだ。東日本大震災から10年目の仙台にて、被害者が全身を縛られたまま“餓死させられる”という不可解な殺人事件が発生。捜査線上には、別の事件で服役し、出所してきたばかりの利根泰久(佐藤健)という男が容疑者として浮かんでくる。被害者たちが“同じ福祉保険事務所で働いていた”という共通点を見出した刑事の笘篠誠一郎(阿部寛)は、この事実を手がかりとして利根に迫っていくことに。なぜこんなにも無残で不可解な殺人事件が起きてしまったのか。そしてなぜ利根は服役することになり、出所したいま再び追われているのか。ミステリー仕立てで展開していく物語から、慟哭せずにはいられない真実が明らかになっていくーー。

 『護られなかった者たちへ』に描かれている世界と、私たちの住む世界には共通点がある。2011年にはたしかに東日本大震災が起き、多くの人々が生きていくことの困難に見舞われた。本作では「生活保護」にまつわる問題が取り沙汰され、“震災以降”を生きる者たちの苦しみや哀しみが映し出される。現実世界でも同じような問題に直面している方は少なくないだろう。しかし共通点というのは、このことだけではない。コロナ禍が日本全国に等しくもたらした、“生きていくことの困難”である。筆者も例外ではないし、誰もが身をもって知っているはず。テレビにもインターネット上にも、誰かしらの苦しむ声が溢れている。いまはもう生活の立て直しに成功しただろうか。いや、仮にそうだったとして、1年後、1カ月後、ひょっとしたら1週間後、社会がどのようになっているのか分からない。それを誰もが実感したはずだ。“新しい生活様式”には慣れたかもしれないが、いまだ不安定な日々は続いている。

 そのような環境下で東京五輪は開催された。「開催反対」の声が方々から聞こえたものだが、こんなご時世だとはいえ、国際的なイベントそのものが悪かったわけではない。出場が決まった選手らにとっては一生に一度やってくるかどうかの機会であるし、「五輪出場」の目標だけが生きる指針になっている人だっている。それに選手たちの姿に元気をもらった方も確実にいるわけだ。その一方で、五輪どころじゃない人々もいた。ここで問題なのは、“誰かの声を無視していたこと”である。それが明らかだったのだ。筆者はこの状況下で『護られなかった者たちへ』を鑑賞し、佐藤健の叫びに共鳴した。劇中でいう「護られなかった者たちというのは、“声”を聞いてもらえなかった人々、あるいは“声”を上げる気力すらなかった人々のことだ。全員の声に耳を傾けるのは難しい。しかし、そんな声にならない声を佐藤の叫びが代弁しているように感じ、彼の存在こそ、この映画こそ、“必要火急”だと思ったのである。

 2度目の鑑賞は封切り日。やはり共鳴してしまう心情に変化はなかった。1度目の鑑賞からたった一カ月強しか経っていないため当然といえば当然だ。むしろそれは、より強くなっていたかもしれない。そして今回、Blu-rayにて3度目の鑑賞をした。握りしめた拳で、ついに腿を打った。したたかに打ちつけた。自宅だったからできたことである。初見時に芽生えた心情に、いまも変化はないのだ。恐らくこれから何度観ても、この気持ちは変わらないのではないかと思う。コロナ禍以前に観てもそうだったはずだし、10年後でも同じだろう。たとえ疫禍や災害が起こらなかったとしても、本作に描かれている貧困や格差の問題は絶えず存在する。私たちはそんな社会に生きているのだ。

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