『二十五、二十一』が描く青春の“回復力” 長い人生を輝かせる、愛と友情と成長痛の記憶
一方のイジンは、表面上だけは負けん気の強いヒドに鼓舞され、いったん手放した“幸せになる権利”を取り戻す。ヒドという絶対的なサポーターを得て、スポーツ選手とジャーナリストの因果で大切な人たちを傷つけてしまう状況に陥ったとしても、イジンの経済とプライドを支える職業倫理を身につけていく。家族を支え、命を懸けるフェンシングが重荷になる状況をリセットするように、誰もいないプールの飛び込み台から落ちるユリム。彼女と共に人生を歩むのは、ユリムと一心同体だったフェンシングを切り離し、個として見ているジウンだ。第12話で描かれた、フェンシングを辞める決意をした後輩と、信念を貫くため退学も辞さないスンワンの決断は、彼女たちを支える友人や大人によって肯定される。『二十五、二十一』の企画意図には、こう書かれている。「青春の魅力の根本は、ありあまる体力にある」。身を切られるような決断には成長痛が伴うが、痛みを乗り越えひとまわり大きくなれるのも、若い力ゆえ。これはエンディングのヒドとイジンの決断にも繋がっている。
虹、トンネル、桜――ヒドとイジンの恋愛を表すキーワードは、復活力、回復力の暗喩だ。体を冷やす冷たい雨の後には大きな虹が現れ、長く暗いトンネルを抜けた先には想像もしないような世界が開ける。最終話でふたりを包む桜は、短く美しく咲き、盛大に散った後に新緑の葉が伸び、1年後また蕾をつける。ヒドを演じたキム・テリ、イジンを演じたナム・ジュヒョクの演技が素晴らしければ素晴らしいほど、ふたりと同様に視聴者も疑似恋愛を体験する。ヒドとイジンが真剣に愛に向き合ったように、視聴者も真剣にドラマに向き合い、小さなヒントも見逃さないように画面を凝視した。結末は最初からほのめかされていたものの、第14話でそれぞれの道が明らかになり、そこに至るエンディングまでの2話は辛く、苦しい。復活の過程はあえて描かれないが、このドラマがずっと描いてきた彼らの強くしなやかな回復力をもって、第14話の晴れやかな表情があるのだ。ドラマのロスを癒す体験は、失恋から立ち直る過程にも似ている。ロスを癒すためにあらゆる努力をする。新しいドラマを見始めたり、ロスに陥れたドラマをもう一度最初から見直してみたり。疑似失恋を癒すようにロスから回復し、そしてまた新しいお気に入りの作品を見つけ、豊かな鑑賞体験が築かれていく。
最後に、一度きりの修学旅行でのスンワンのセリフが繰り返される。「あの年の夏は、私たちのものだった」――人生は、あなたのもの。不可抗力や時代のせいで夢や希望が奪われても、人生の主役が自分であることには変わりない。パンデミックで青春を奪われてしまった若者たちに対し、大人ができることは、彼らのレジリエンスを信じて応援してあげることだけ。そして、未曾有の事態に参っている大人たちも、大失恋や大失態をなんとか克服した成長痛を思い出し、あれに比べればどんなことだって訳ないさ、と開き直り立ち上がるのだ。
■配信情報
『二十五、二十一』
Netflixにて独占配信中
原作・制作:チョン・ジヒョン、クォン・ドウン
出演:キム・テリ、ナム・ジュヒョク、キム・ジヨン、チェ・ヒョンウク、イ・ジュミョン
メイン写真以外の場面写真はtvN公式サイトより