中島健人×永山絢斗、2人の“ケント”の好演光る 『桜のような僕の恋人』が描く特別な時間

 「純愛難病映画」という日本の実写映画において興行的に成功しやすいジャンルが、Netflixオリジナル映画として配信向けに製作されたというのはひとつの興味深い事柄としてまず頭に留めておきたい。この『桜のような僕の恋人』で描かれるのは、“ファストフォワード症候群”に罹患したヒロインと、彼女に恋心を抱く青年の1年間の物語である。この“ファストフォワード症候群”という病名は、おそらく創作された呼び名であろう。劇中でそれは“早老症”のひとつとして示されているように、他の人よりも何倍も早い速度で年老いていくという遺伝子疾患は現実に存在する。

 ここ最近のいわゆる“純愛映画”界隈(もちろん中高生の恋愛劇も含むとして)では、ある一定の時期の少女漫画原作から打って変わり、小説を原作とした作品が増加傾向にある。その特色として顕著に見受けられるのは、ドラマ的なフックを用いずに限りなく現実的な恋愛をポップに描写することが中心だった少女漫画原作に対し、2000年代にブームとなったような難病を題材にラブストーリーを構築するか、もしくはファンタジー的な設定を用いるなど、いささか“感動させる”方向へと舵を切っていることであろう。無論これは、前者で言えば『君の膵臓をたべたい』、後者で言えば『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の興行的ヒットと作品的な成功が背景にあるといえよう。

 とりわけ実在する“難病”を扱うとなれば、現実にそれに苦しんでいる人が存在する以上、安易に感動の道具にしてほしくないと思う反面、当事者とその家族が抱く葛藤など、そうしたものを物語を介して多くの人に知ってもらえるという作用があることは、その是非はさておくとしてもあるだろう。難病を、決して他人事ではなく“自分ごと”のように感じてもらう。日本映画が過剰なまでに“共感”に重きを置いていることは、このジャンルの存在と決して無関係ではない。もちろん細かいディテールにおいては避けるべき誤認を生みかねない描写もないとは言い切れない一方で、それは一つの極端な例として捉えれば、それを入口にして正しい形で知るための“きっかけ”にもなる。『世界の中心で、愛をさけぶ』の白血病しかり、『君の膵臓をたべたい』の膵臓の病(たしか具体的な病名は明かされていなかったはずだ)、そしてこれは少女漫画原作ではあるが『10万分の1』のALS(筋萎縮性側索硬化症)も同様だ。

 “早老症”のひとつとしてよく知られているウェルナー症候群は、世界的に見て日本で多く報告されている指定難病である。成人を過ぎた頃から外見上の変化に加え、免疫力の低下に伴って皮膚の再生能力が衰えることや、悪性腫瘍や動脈硬化などの合併症も進行しやすくなる。遺伝子異常が原因と言われているが、まだすべてが解明されたわけでもなく、確かな治療法もない。主に合併症を原因にして命を落とすとされており、40歳前後といわれてきた余命は近年徐々に延びつつある。なので『桜のような僕の恋人』の劇中においてヒロインはわずか1年足らずでみるみるうちに年老いて衰弱し、命を落としてしまうわけだが、病状には常に個体差が生じるとはいえ、あくまでもそれはひとつのデフォルメした例と捉える必要があろう。その上で忘れてはならないのは、このような病がファンタジー的な産物ではなく確かに存在しているということだけでよい。

 さて、『桜のような僕の恋人』の物語は駆け出しカメラマンの晴人(中島健人)が美容師の美咲(松本穂香)と出会い、恋に落ちるところから始まる。ある日、美咲が誤って晴人の耳たぶを切ってしまったことがきっかけとなり、デートに誘う口実を得る晴人。カメラマンの夢を諦めようとしていた彼だったが、美咲に後押しされたことでふたたび夢を追い始めることになる。やがて2人は恋人となるのだが、その頃から美咲の体調に異変があらわれる。そして自分が人よりも早く年老いていく病であると知った美咲は、晴人の前から姿を消すのである。

 人よりも早く歳を重ねるヒロインと、いまその時間を永遠に残すことができるカメラマンという主人公の職業性。時間空間を切り取るカメラマンと、人の頭髪を切り取る美容師。両者の境遇が連動するかのように巧みに組み込まれた対比構造のなかで同時に、春は桜、夏は花火、冬は雪と、四季におけるいくつもの“刹那”が、ヒロインの散りゆく“若さ”と共鳴していく。非常に計算され尽くしたその設定の数々は、脚本家としても知られる宇山佳佑の原作によるものか。そこにヒロインの描写に絶対的な信頼を置ける吉田智子の脚本が重なることで、卓越した化学反応が生まれることは言うまでもない。

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